Wireless・のおと

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ワイヤレス・のおとメディア小論(2)

2014年12月17日 11:00
YS
前回は「Wireless」というキーワードから狼煙、腕木信号、電信、電話、ラジオ、TV そして携帯電話に至るコミュニケーション手段の発展について考察してみました。今回はコンピュータネットワークについてのおななしです。

Early days
コンピュータネットワークはもともと独自のインフラを持たず、既存のインフラ(主に電話網)に寄生するメタ・メディアとして出発しました。ごく初期には計算機センター(EDPS)に鎮座するメインフレーム計算機に端末機(Terminal)を接続して「使わせて頂く」ための仕組みで、この時点ではまだ「コミュニケーション手段」とは言い難いものでした。
コミュニケーション手段としてのコンピュータネットワークはやはり、1970 年代にパーソナルコンピュータ(パソコン、PC)が普及してからになります。当時のパソコンは殆ど実用性のない高価なオモチャに過ぎませんでしたが、そのオモチャを弄んで喜ぶマニア同士が情報を交換するため、音響カプラと電話回線で互いのパソコン同士を接続した「草の根 BBS(Grass roots BBS)」がコンピュータネットワーク黎明期の姿です。BBS というのは「掲示板(Bulletin Board Service)」の意味で、ホスト機(サーバー)を通じてユーザーが発言を登録したり、他のユーザー発言を参照できるサービスを指します。まだ「ネットワーク」という言葉が使われていなかった草の根時代、既に「情報の貯蔵・参照能力」が活用されていたことには注目すべきでしょう。
1980 年代に入ると全国レベルのサービス網を持つ商用サービスが始まります。米国では CompuServe や America Online (AOL)、日本では Nifty-Serve や PC-VAN などが一時代を築きました。これらのパソコン通信サービス(英語では Online Service)は「フォーラム」「メール」「チャット」などの機能を備え、草の根 BBS よりも「コミュニケーション手段」らしさを増します。こんにち隆盛を極める Facebook や Twitter などの SNS (Social Network Service) の機能は、当時の PC 通信と本質的にほとんど違いません。私も知人に勧められて mixi を始めたときは、「これって昔の Nifty-Serve と殆ど同じじゃない?」という既視感を感じたものでした。


The Internet
インターネットの原型である ARPANET はこれまた軍用として 1960 年代に開発され、1980 年代には「INTERNET」として大学や大企業の研究所間を結ぶネットワークが稼動していましたが、パソコン通信とインターネットは互いに交わることなく平行線を進んでいました。当時のインターネットは研究所間でのファイル交換などが主目的であり、「どのサーバのどのディレクトリに何のファイルが入っているか」を知っていないと全く使えない代物で、とても素人に手の出せる物でもないしその必要もないと思われていました。これが劇的に変わるのが 1990 年代、インターネットにワールドワイド・ウェブ(World Wide Web, WWW)が導入されてからです。
WWW は HTML 言語を用いて画像を含めた情報を視覚的に表示し、興味のある対象をクリックすることでその対象へ「飛ぶ」ハイパーリンク(Hyperlink)による情報の閲覧操作を提供しました。これはメニュー選択形式の商用 PC 通信より遥かに直観的で、柔軟な可能性を秘めた全く新しい情報伝達形式でした。ちょうどマウスと GUI を備えたコンピュータ(当初は Apple Macintosh、後に Microsoft Windows)の普及期を迎えていたこととも重なり、WWW は「インターネット」の代名詞として爆発的に普及することになります。「誰でも世界に向かって情報発信」などと言われ、個人 WEB サイト(「ホームページ」)を持つことが流行したのもこの頃(2000 年前後)ですね。そして殆どの個人ページは開設後1年も経たぬうちに更新が止まって自然消滅の末路を辿り、「個人の情報発信手段」はホームページから Blog、そして Facebook やツイッターのような SNS へと退行してゆくのですが、それはまた別の話。

もう一つ重要な発明は、ネットスケープ社によって 1994 年に開発され Netscape Navigator に実装された暗号通信プロトコル SSL (Secure Socket Layer) でした。これによって接続対象の正当性を確認(サーバ認証)し暗号化を施したうえでの通信が可能となり、お金の絡む商用サービスをインターネット上で展開するための必要不可欠なインフラとなりました。今日我々はネット予約やネット通販を当たり前のように使っていますが、これは SSL のもたらす安全性が無ければ実現し得なかったアプリケーションです。それまで「インターネットなど、しょせんは学生のお遊び」と鼻で笑っていた商用サービスは SSL に足元を掬われるかたちになりました。

インターネットの商用利用は巨大なビジネス市場誕生の可能性を伺わせ、1990 年代後半には砂糖に群がる蟻のごとくベンチャー企業が次々に名乗りを上げ「.COM バブル」現象が発生します。その中には真面目な商売もありましたが、投資集めと株価向上を狙った口先だけの紙切れ起業があまりに多すぎました。そして 2000 年頃にはバブルが弾けて IT 企業株の暴落・倒産・廃業が相次ぎ、「.COM」や「IT」といったキーワードは一転して「軽薄短小、実態のない上っ面の成金企業」というイメージを帯びる始末になりますが、それも本稿の主題とはまた別の話です。
1990 年代後半からはインターネット接続専用のインフラ、いわゆる「ブロードバンド接続サービス」が登場してコンピュータネットワークは電話網に寄生するメタ・メディアから独立したメディアへ進化することになりますが、接続形態の話は別項に譲ります。


Search engines make world go around
インターネットの爆発的流行によって雨後の筍のごとく新たな WWW サーバが生まれ、その内容も毎日のように変化していた頃、せっかく面白そうなリンクを見つけてクリックしても 404 Not Found が返ってくる現象が頻発するようになりました。これでは一体何のためのハイパーリンクだかわかりません。コンピュータネットワークの長所が「情報の蓄積と参照」にあるとはいえ、何処に何があるか判らないのではゴミの山です。
この問題を解決するため 1996 年頃に提案されたのが「プッシュ型配送」でした。これは WEB コンテンツの更新者が更新内容をタグ付けしてプッシュサーバに送り、プッシュサーバがそれを「視聴者」の登録条件に合わせて再配布するシステムです。とりわけ Malinba 社は自社のプッシュ配送システム「Castanet」を「次世代インターネットのあるべき姿」として大々的に宣伝し、マスコミもこれを華々しく取り上げていました。
しかし今ではマリンバやカスタネットなんてもう殆ど誰も覚えていません。プッシュ配送の概念は「RSS フィーダー」という形に変わって残っていますが、「そんなものもある」程度の存在です。これは強力な「検索エンジン」の登場によって、とりあえず「なんか関係ありそうな用語」を入力すれば必要な情報が「釣れる」ようになったからです。
検索エンジンは Yahoo 社が 1995 年頃に先鞭を付け、Lycos, Infoseek などこれまた雨後の筍のごとくベンチャー創業が後に続き「群雄割拠」と呼ばれる盛況を呈しましたが、その中で 2000 年頃に登場した Google 社は「ググる」という動詞がインターネット検索の代名詞となるまでに急成長しました。Google 検索の強みは情報をただのキーワード一致対象としてではなく、ユーザーにとってどれだけ価値があるかを判断し、価値の高そうな順に表示するシステムの開発に成功したことです。
情報はいくら沢山あっても、関連付けされ整理されていなければゴミの山です。そのゴミの山を宝に変える「データマインニング」という新たなビジネスモデルが開拓されたのは、Google 社に依るところが大きかったと言えるでしょう。


番外:"Sorry, Japanese only"
個人的には、90 年代に熱病のように流行った「インターネットで個人から世界への情報発信」という夢が、現実の前にどんどん色褪せていったことが印象的です。確かに新聞、TV、ラジオにくらべて個人の情報発信は(良くも悪くも)容易になりました。ネット上での不用意な一言が「炎上」を引き起こして人事進退問題に発展したり、Facebook や Youtube のオモシロ投稿が文字通り「瞬く間に」世界中に拡散する現場も何度も目にしています。しかし洪水のような情報の奔流のなかで、「個人」の存在は希薄になっていったようです。Twitter で散々パロられた有名人の炎上発言も、数百万回も再生された Youtube オモシロ動画も、半年後にはほとんど誰も覚えていません。ネットの中ではネタだけが飛び回り、それを「誰が」言い始めたかという「個人」の存在なんて誰も気にしていませんし、他人の発言をコピーする「パクリ」も横行しています。雑誌やラジオ投稿の時代から盗作・改作はありましたが、デジタルコミュニケーションであるネットはパクリの敷居を大幅に下げたように思います。そして、それすらも殆ど誰も気にしていません。どうせ半年もすれば忘れ去られるのですから。
コンピュータネットワークが「情報の蓄積と参照」を武器としてのし上がってきたというのに、こんにちインターネットを流れる情報の殆どが一過性で消費されている、というのは皮肉な話です。それが悪いとか昔が良かったと言うつもりはありませんが、快楽中枢刺激ボタンを押すサルのごとく情報を消費し続けた先に何があるのか(あるいは何も無いのか)は気になるところです。


まとめ
草の根 BBS から商用サービス、個人ホームページの流行と衰退、.COM バブル、検索エンジンからデータマインニングまで駆け足でコンピュータネットワークの歴史を見てきました。30 年は長かったようでもあり、1200bps モデムで Nifty-Serve につないでいたのがつい先日のような気もします(歳を取るわけだなぁ)。
この先インターネットが何処へ向かおうとしているのか、それは誰にもわかりません。とりあえず業界としては「人が使う」インターネットの需要は既に飽和していると感じており、今後は機械と機械がつながるインフラ(M2M:Machine to Machine)としてインターネットが成長することに期待しています。そしてありとあらゆる機械をインターネットにつなげることを IoT(Internet of Things) とか IoE(Internet of Everything) と呼び、IoT/IoE こそ次の成長市場だとぶち上げて市場開拓に熱心ですが、それが次の Google や Amazon を生むのか、それともプッシュ配送や .COM バブルの二の舞になるかは神のみぞ知るところでしょう。

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