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IEEE802.11afとホワイトスペース無線のはなし

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地上波TV放送のフォーマットがアナログからデジタルに変わりつつあった2008年頃、アナログTV放送停波後の周波数帯の再割り当て・再利用が話題になったことがありました。その話題の中には米国で、何かにつけて仲の悪いGoogleとMicrosoftが「共同戦線」を張ってFCCから無免許の公衆利用権を取り付け、これを"Wi-Fi on Steroid" や"Super Wi-Fi"などと名付けてその可能性を喧伝し、ITニュースメディアでも盛んに持ち上げられたことがありました。今回はそのお話です。

ホワイトスペース無線とは

電波による無線通信は有用な社会リソースなので、殆どの国では国家機関の管理下に置かれ、周波数ごとに区切られて公共法人や業者に割り当てられています。無申請・無免許で誰でも利用できる無線LANやBuletoothは数少ない例外のひとつで、ISM(Industrial, Scientific and Medical)と呼ばれる「解放区」を利用しています。ISM帯域は6MHz~250GHzの間にポツポツと離れ島のように設定されていますが、2.4GHz帯は最も早く1990年代後期から利用されていました。その後(厳密にはITUの定義における「ISM帯」とは限りませんが)5GHz, 6GHz, 900GHzが少しづつ解放区に加わっています。これらの帯域は「無申請・無免許」という自由のかわりに、狭い周波数帯域のなかで・かなり小さなパワー上限で使う制約が課せられています。

地上波TV局は国土(ほぼ)全土をカバーする放送サービスを提供しますが、同じ周波数の局が電波到達範囲内にあると干渉が起きるので、同じ放送内容(チャンネル)でも地域毎に周波数を違えていました。このため法律上は54~806MHz(US FCCの場合)がTV放送に割り当てられていても、実際には地域あるいは時間帯によって使っていない「空白地帯」が飛び地のように存在し、これを「ホワイトスペース帯域(White Spaces)」と呼んでいました。

ホワイトスペース帯域は「空白地帯」として放置せず再利用すべきではないかという意見は以前からあり、TV放送のアナログ→デジタル転換はこれを実現に移す絶好の機会だと考えられました。

 

2008年前後にホワイトスペース活用を推進する団体が幾つか作られたようですが、このあたりの情報はあまり多く残っていません。冒頭に出した「GoogleとMicrosoftの共同戦線(※註1)」はThe White Spaces Coalition(WSC)という団体で、WikipediaによればMicrosoft, Google, Dell, HP, Intel, Philips, Earthlink, Samsungが参画しており、他にも幾つか非公開で参画した企業・団体があったようです。他にも Wireless Innovation AllianceとかWhite Space Allianceという団体があったようですが、今となってはそれらの関係はよくわかりません。

 

(※註1) https://arstechnica.com/gadgets/2007/04/white-space/

 

WikipediaによればWSCは「通常利用で80Mbps、近距離なら400~800Mbps」というかなり楽観的な性能を発表していたようで、これが日本語のITメディアで「革命的な超高速無線インターネット」として更に尾鰭背鰭の付いた話として吹聴されたようです(※註2)。

 

(※註2) https://www.nikkei-science.com/?p=17310

 

これらの団体・特にWSCによるホワイトスペース無線の実証実験、FCCやNAB(全米放送協会:National Association of Broadcasters)との泥仕合の様子はその後数年間ITメディアに取り上げられ、次第に散発的になり、やがて紙面から忘れ去られてゆきます。

 

 

「ホワイトスペース無線LAN」には幾つかの規格案が立てられ、「Wi-Fi陣営」ことIEEE802.11では2009年にタスクグループafを結成して標準規格制定に乗り出しました。なお他には2004年に結成されたIEEE802.22や2011年に結成されたIEEE802.15.4mもありましたが、これらは(11afに輪を掛けた)ドマイナーな「名前だけ規格」なので、今回は割愛します。

IEEE802.11afにはTVHT-PHY(Television Very High Throughput)という名前が付けられ、仕様制定はIEEE802.11グループにしては早いペースで進んで2013年12月にはIEEE 802.11af-2013標準として仕様締結、2014年2月には仕様公開に至りました。IEEE802.11-2016以後では包括仕様のなかに取り込まれています(Section 22)。以後、特に注釈が無ければ出典はIEEE802.11-2020とします。

 

 

IEEE802.11afの仕様

IEEE802.11af(以下"11af")の仕様は、時期的に並行して進められていたIEEE802.11ac(VHT-PHY、以下"11ac")の仕様になるべく相乗りする格好になっています。チャンネル幅は6MHz, 7MHz, 8MHzの3種類がありますが、どのモードでもデータサブキャリア96本と決められています。サブキャリア総数は6MHzと8MHzが144本・7MHzは168本、シンボル間隔(TDFT)は6MHzと7MHzが24μ秒(サブキャリア周波数41.67KHz)、8MHzが18μ秒(サブキャリア周波数55KHz)と微妙に違います(Table 22-5)。何で似て非なるPHY仕様が3つもあるのか、どうやら各国地域毎に微妙に異なるTV帯域の電波規格に適合させようとしたようです。ちなみに「原型」となったIEEE802.11ac VHT-PHYではチャンネル幅20,40,80,160MHz、シンボル間隔3.2μ秒/サブキャリア周波数312.5KHzです(Table 21-5)。

11afでは6/7/8MHzのチャンネルをBCU (Basic Channel Units)と呼び、複数チャンネルをまとめて使うボンディングオプションが規定されています。"TVHT_2W" "TVHT_W+W" "TVHT_4W" "TVHT_2W+2W"のように表記されます。

 

11afの変調モード(MCSセット)はTable 22-26~22-37に示されており、シングルチャンネル・シングルストリームのときMCS0:BPSK+1/2FECで2Mbps(6/7MHz ch)または2.7Mbps(8MHz ch)、MCS9:256WAM+5/6FECで26.7Mbpsまたは35.6Mbps、カタログスペック上の最高データレートは4チャンネルボンディング・4ストリームで426.7Mbpsまたは568.9Mbpsとなっています。WSCの掲げた「通常利用で80Mbps、近距離なら400~800Mbps」という数字よりだいぶ低いスペックですね。

 

11afのパケットフォーマットはWi-Fiのものをほぼそのまま引き継いでいます。Section 22.1.4 "PPDU formats"には5行の記述しかありません。11afよりやや遅れてスタートした11ahではPV1フレーム(9.8)やS1G PPDU(23.3)も使用可能に拡張されたのとは対照的です。

 

11afのAP-STAモデルもWi-Fiを引き継いだようです。これも11ahではAP 1台あたりの収納ノード数が2007台から8192台に拡張され、これに合わせてビーコンのフォーマットが大きく変更され「ショートビーコン」「ロングビーコン」の混成になり(9.3.4.3)、省電力ノードへのトラフィック通知(TIM)の仕組みも(凝りすぎじゃないかと思うほど)大きく拡張されましたが(9.4.2.5)、11afではビーコンもWi-Fiと同仕様になっています。無線端末の能力(実装オプション)を示す情報も11ahではS1G Capabilities (9.4.2.200)やS1G Operations (9.4.2.212)などのIEが拡張されていますが、11afでは11acと共通のVHT Capability (9.4.2.157)に相乗りしています。

 

11ahが広範囲・多台数・少電力でのセンサネットワーク的な用途を想定してWi-Fiから大幅な仕様拡張を行っているのに対し、11afはなるべく11acと仕様を共通化し、あわよくば11acチップセットのPHY/RFだけ差し替えて早期の製品化を目指していたのかな、と思います。

 

 

IEEE802.11afの現状

GoogleやMicrosoftを巻き込み、(例によって例のごとく)誤解や過大解釈も含んだITメディアニュースの期待を集めた「スーパーWi-Fi」ことIEEE802.11afですが、現状は誰も使っていない有名無実の規格と化しています。そもそも、どのメーカーも11af対応の無線チップを製品化していません。私の知る限り、2015年12月に日本のNICT(国立研究開発法人、情報通信研究機構)が11af対応のベースバンドICを開発、それを実装したUSBドングル(幅5cm・全長17cm・厚さ1.9cmある、「ドングル」と呼ぶにはだいぶ大柄なもの)を動作させたという報道(※註3)くらいです。

 

(※註3) https://www.nict.go.jp/press/2015/12/16-1.html

 

「ホワイトスペース無線騒動」の片棒を担いだGoogleはさっさと舞台から降りてしまいました。2018年には高々度気球による広域無線ネットワーク構想"Loon"を立ち上げ、それも2021年には中止しました。

Microsoftは何かしぶとくやっていたようで、2020年頃にアメリカ中西部の農業地帯でホワイトスペース無線によるインターネット接続のテストプロジェクト始めると宣言したり(※註4)、2021年には全米放送協会(National Association of Broadcasters:NAB)と悶着を起こしたり(※註5)などニュースの断片を見つけることはできますが、最終的にどうなったのかはよくわかりません。マイクロソフトのWEBサイトにはいまだにホワイトスペース無線への展望が示されていますが(※註6)、このURLもいつまで残っているかわかったものではありません。

 

(※註4) https://www.govtech.com/network/white-space-internet-could-connect-the-uss-isolated-places.html

(※註5) https://www.nexttv.com/news/nab-on-tv-white-spaces-no-more-microsoft-hand-outs-for-failing-experiment

(※註6 https://www.microsoft.com/en-us/research/project/dynamic-spectrum-and-tv-white-spaces/

 

どうしてこんなことになったのか、私も積極的に11af関係の動きを追いかけていた訳ではないのでよくわかりません。IEEE802.11-2020 Appendix E.2.5 (TVWS band in the United States and Canada (54-698 MHz))を読むと、GDDがどうしたこうしたとなんかめんどくさいことが書いてあります。GDDとはGeolocation Database Dependentの略で、詳細については4.3.25 Operation under geolocation database (GDB) controlに書かれていますが、ホワイトスペース無線は結局「買って電源入れれば誰でも使える」ものではなく、いつ・どこで・どの周波数が使えるかの情報を中央データベース(GDB)に問い合わせて使う必要があり、特にアクセスポイントはFCCの管理する認証登録データベースを参照しなければならないと、何かめんどくさいことが書かれています。なんだかんだ言って結局、アナログTV停波後に出現するはずだった「誰でも無申請無免許で自由に使える広大な電波の空き地」は出現しなかったわけです。

 

・周波数帯の管理問題や既得権益(NAB)との衝突がつきまとい、無免許無申請の市販製品が成立するかどうかがずっとグレーなままだった。

・スマートフォンによって4Gそして5Gのデジタル携帯ネットワークが物凄い勢いで広がって普及した。

・2020年頃からは無免許無申請で使える800~900MHz帯域の競合技術11ahが製品化された。

 

というあたりの理由で、11afも含めた「ホワイトスペース無線(スーパーWi-Fi)」は2008年頃の勢いを失い、閑古鳥の楽園と化したようです。

 

 

 

まとめ

新しい電波利用法の制定・それを利用する通信技術への誤解を交えた過大な期待・すったもんだの末の焼け野原という経緯は、以前に「UWBのはなし」でも紹介しました。これが「よくある話」では困るのですが、まぁこの業界ではよくあった話です。「あった」という過去形なのは、ここ10年くらいは新しい無線技術の話題といえば「5G携帯」とその取り巻きに集約されてしまい、海とも山ともつかない新しい話を聞かなくなっているからです。エンジニアとしては変な話に振り回される迷惑が少なくなった反面、デジタル無線通信という技術が成熟し陳腐化(コモデティ)している証左なのかなぁ、と少し寂しくも思います。

UWBは最近になって「近距離限定・超高速無線」を捨てたインパルス式に回帰し、Apple Airtagを筆頭とする近距離精密位置測定デバイスとして利用されだしています。UWBが復活したように1af規格に、あるいはホワイトスペース無線に未来があるのかどうか、正直言ってわかりません。ですが現状を見るかぎり、あまり望みはなさそうです。

ホワイトスペースはアナログTV停波後10年以上経ってもいまだ政治的意図に振り回され続けており、すぐに「無申請・無免許で誰でも利用」できるようになる気配はありません。その一方で競合技術には5Gや11ahのほかにスターリンクのような低軌道衛星ネットワークも登場し、誰でも利用契約を結んで機材を購入し実際に使うことができます。

 

かつて「メディアの王様」と呼ばれたTV放送も、その影響力や重要性はだいぶ下がりました。今の若い人達には「TVなんかつまらないし見ない、インターネットさえあればいい」と言う人も少なくないでしょう。だからといって、10年そこらのスパンでTV地上波放送が全廃されそうな気配もありません。そうなれば本当に広い帯域が解放され再利用されることになるかも知れませんが、それは何十年も後の話になりそうですね。

 

 

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