Wireless・のおと
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UWB とは何だったのか(3)
前回、前々回にわたってUWB技術に掛けられた過大な期待、IEEE 802.15.3a標準をめぐる企業エゴの衝突、Wireless USBへの集中とその挫折という物語を取り上げてきました。今回はちょっと「上から目線」になることを承知で、一体UWBの何が悪かったのか、どうすれば良かったかについて語ってみます。
IEEE 802.15.3a 標準化委員会の問題
UWB
の失敗を検討するうえで真っ先に俎上にのせられるのは、時間と労力の空費に終わった IEEE 802.15.3a 標準化の失敗でしょう。その背後には
Freescale (DS-UWB, UWB Forum) と intel (MB-OFDM, MBOA/WiMedia)
という二大企業のデファクトスタンダード争いがあったことは前回紹介した通りです。これを企業エゴと批判するのは容易なことですが、商業的技術は企業の利
潤追求活動がなければ結実し得ません。では、UWB の標準化フレームワークに実績なき IEEE 802.15.3 を採択したのは正しい選択だったのでしょうか。
これについては「他に選択肢が無かった」と言えるかも知れません。いまさら UWB のためだけに新しい規格を作るのも馬鹿げていますし、しかし既存の無線規格...たとえば WiFi の UWB 化にどれだけの商品的価値があったかと言うと極めて疑問です。当時 UWB と一番近い位置に居たのは PAN の大先輩 Bluetooth で、実際に Bluetooth SIG はいちどBluetooth 3.0のベースバンドに UWB を採用していますが、それを「早急な標準化」が求められていた 2002~2003 年の段階で実現するのは非常に困難だったでしょう。
結果的に 802.15.3a 委員会は空中分解してしまいましたが、それは主として標準化運営のプロセス(特に投票権の管理など)の問題であり、802.15.3 自身の問題ではないと思います。2.4GHz 版の 802.15.3 が失敗したのも、既に似たような製品技術(WiFi, Bluetooth)が普及していた所に似たような技術を提案したが故の失敗であり、UWB 版の 802.15.3a がそれらと異なるユニークな価値を提供できる可能性はあったと考えています。ただ、現実の UWB はその「ユニークな価値」をどんどん捨てて WiFi と正面対決する方向へと向かってしまうのですが、それもまた 802.15.3a とは直接関係のないことでしょう。
あえて 802.15.3a を否定するならば、「そもそも標準化組織なんか作らず各社各様勝手にやらせれば良かった」という事になると思います。ひょっとすると、それが正解だったのかも知れません。しかし「夢の新技術」が報道され、「一刻も早い製品化」が望まれていた時期に、あえて標準化を組織しないという選択肢はなかなか取れなかったのではないかとも思います。
インパルス・ラジオを捨てたのは正しかったか?
UWB はもともとインパルス・ラジオ...極めて短いパルス状の電波を用い、時間軸方向だけの分布で情報伝達する通信方式として報道されました。この連載で何度か述べてきたように、インパルス・ラジオには独特の困難と同時に独特の魅力があります(低消費電力で妨害・干渉や盗聴に強く、上手く作れば回路規模を縮小できアナログ部品を極小化できる、など)。UWB という言葉がメディアに登場した頃は、UWB=インパルス・ラジオという前提でその特長が語られていました。
しかし、インパルス・ラジオは IEEE 802.15.3a 標準化作業においてごく初期に候補から外されました。UWB を「超高速・近距離無線通信」という性格に仕立てようとすると、インパルス・ラジオは必ずしも「超高速」には向かないからです。それはそれで一つの選択でしたが、「高速化」という利点と引き換えに、前述した数々のユニークなインパルス・ラジオの特長もまた失ってしまうことになりました。その選択が正しかったかどうかという議論は即ち、UWB を「近距離限定・超高速無線通信技術」として売り込もうとした選択が正しかったか?という議論とほぼ等しいことになるでしょう。
また、インパルス・ラジオの特長をさんざん喧伝(「壁を超えて通信できる」など)したあと、インパルスではなくなった UWB に対してその違いをきちんと説明できなかったマスコミにも、過大な期待をユーザーに抱かせてしまった責任が若干あると思います。
近距離限定・超高速無線通信技術に市場性はあったか?
既に Zigbee, Bluetooth, WiFi など複数の有力アーキテクチャが群雄割拠する無線市場に、近距離でしか通信できない出力の足枷を課せられたうえで登場した UWB を売り込むためには、その欠点を上回る何らかの魅力が必要でした。「超高速」という売り文句はたしかに万人にわかりやすく、他の無線通信方式では実現し得ないニッチを獲得できるような気がしました(そして、そのニッチはシャノン方程式によって保証されるはずでした)。PC の筺体内でハードディスクとマザーボードを無線接続するとか、ノートパソコンの液晶パネルと本体を無線接続するとか、DVD やフラットパネル TV や AV アンプを積み重ねるだけで相互接続できるようになるとか、色々と面白そうなアプリケーションが提案されていました。そしてその場合、「近距離でしか通信できない」ことはむしろ盗聴防止や混信抑止などの利点としても働き得る可能性がありました。
...しかし、現実の市場は甘くはありませんでした。人々が無線を選択するのは、無線化によって有線では実現できない価値が実現できる場合か(例えば携帯電話の運用法を有線機器で置換するのは不可能に近いでしょう)、さもなくば有線と同程度のコスト・性能・信頼性・運用容易さを実現できた場合だけです。そして UWB は、そのどちらも実現できませんでした。前述した PC や AV システムの無線化にしても、落ち着いて考えれば各機器に電源を供給する必要がありますから、2本あった線のうち1本が消えるだけに過ぎません。そして 30cm や 1m という近距離では「だったら線でつないだほうが安くて速くて確実」と言われてしまいます。
かくして、UWB チップメーカー各社はウチは 10m で 480Mbps、いやいやウチは室内で 30m まで行けるなどと躍起になって距離延伸競争を始めることになりましたが(※註)、それは危険なチキンレースでもありました。距離を延ばせば伸ばすほど既存の無線技術...特に躍進著しい 802.11n WiFi とのガチンコ勝負になってしまい、そして桁違いも桁違いに送信電力の低い UWB は、距離を延ばすほどに速度・安定性で不利になってしまうのです。ましてインパルス方式を捨て、WiFi と同じ原理の MB-OFDM になった後はますます差別化要因が少なくなり、不利な点ばかりが目立つようになってしまいました。
かくして、UWB チップメーカー各社はウチは 10m で 480Mbps、いやいやウチは室内で 30m まで行けるなどと躍起になって距離延伸競争を始めることになりましたが(※註)、それは危険なチキンレースでもありました。距離を延ばせば伸ばすほど既存の無線技術...特に躍進著しい 802.11n WiFi とのガチンコ勝負になってしまい、そして桁違いも桁違いに送信電力の低い UWB は、距離を延ばすほどに速度・安定性で不利になってしまうのです。ましてインパルス方式を捨て、WiFi と同じ原理の MB-OFDM になった後はますます差別化要因が少なくなり、不利な点ばかりが目立つようになってしまいました。
(※註)実際、何度かの展示会で UWB 試作機を展示した体験では、圧倒的に多かった訪問者の質問は「何メートルまで使えるんですか?」でした(あと二つが「標準化はどうなっていますか?」「法制化はどうなっていますか?」で、この三つで質問の9割くらいを占めていました。
結局「近距離限定」という制約条件と引き換えだった筈の「超高速無線」という特徴が注目され過ぎ、交換条件だったはずの距離制限を何とか克服しようとして、克服しきれずに自滅してしまったような印象を私は持っています。「近距離限定」の無線技術には、本当に市場性は無かったのでしょうか?私にはどうも、距離延伸を求める顧客に対して「近距離限定」の意味を説明し納得させる努力を怠り、安易に勝算なきスペック競争に走ったような気がしています。
MB-OFDM を選択したのは正しかったか?
MB-OFDM 方式は、「周波数利用効率が良い」「高速化に向く」という利点と引き換えに「干渉や乱反射に弱い」「移動体通信に弱い」という WiFi と共通の弱点を持ってしまいました。むしろ UWB はパワーが桁違いに低いぶん、欠点が強調される結果になってしまった感すらあります。MB-OFDM の選択こそが UWB の致命傷になったのでしょうか?
私が実際に評価した UWB チップは3社・3方式に過ぎず、その限られた経験をもって MB-OFDM 方式を断罪するほどの材料はありません。3つともそれぞれ何がしかの不安定性を抱えていましたが、DS 方式が頭一つぶんくらい安定していたという印象はあります。しかし、これは他の2方式に比べて低速(110Mbps)だった故の結果かもしれません。
ただ、多くのチップメーカーが各社の独自方式を捨て MB-OFDM に走ったのは、いささか早計に過ぎたのではないか?という気はします。百花繚乱のごとく登場した UWB 方式のそれぞれに対し、実際に試作品を作って利害得失を調査し、それぞれにマッチした市場・製品を模索するというプロセスをすっ飛ばしてデファクトスタンダード確立を焦り(それも IEEE802.15.3a の弊害だったかも知れません)、そして「寄らば大樹」とばかりになし崩し的に MB-OFDM に収斂してしまいました。
チップメーカーの論理としては、ファブレスのスタートアップ企業ばかりだった UWB 業界に突然乗り込んできた「intel」そして「Wireless USB」という桁違いに巨大な力を前にして、「バスに乗り遅れるな」という意識が強かったのかも知れません。しかし、そのバスは成功へと向かうバスだったのでしょうか。
Wireless USB に期待を賭けたのは正しかったのか?
私にはどうも、一連の UWB 騒動における最大の誤謬は Wireless USB への執着(あるいは過剰な期待)ではないかと思えます。確かに、話題だけが先行して市場性が曖昧だった状況下にあって、「USB の無線化」は巨大な市場可能性をわかりやすく感じさせるキーワードでした。でも、その「巨大市場性への期待」は空想的願望に過ぎなかったのではないでしょうか?
そもそも USB が成功した理由の一つには、「バスパワー」という魅力がありました。メモリスティックやマウスやキーボード、 WiFiやBluetoothの ドングル、大物ではハードディスクやスキャナーに至るまで、たった一本のケーブルで PC に差すだけで使えるのです。従来の RS-232C シリアルや IEEE1284 プリンタケーブルに対して、これはまさに圧倒的な利便性の改善でした(※註)。USB のコネクタ形状と 5V 500mA という規格は一種の電源インフラとなり、携帯電話やデジカメの充電コネクタは USB 形状が「常識」となり、空港待合室の机に USB 型の充電コネクタが装備されたりするまでになっています。
(※註)しかしPC の設計側にとっては、低電圧・大電流のコネクタを外部に出して素性のわからんデバイスを非同期に抜いたり差したりするのは、電源設計(特に安全面)のハードルを上げる悪夢でした。USB が発表された当時、古典的なハード設計者が USB の仕様を「非常識」と批判するのを聞いたことがあります。しかしそれがもたらすユーザー利便性は明らかで、こんにち USB の付いていない PC なんて誰も買わないでしょう。設計側の事情だけで製品の良し悪しを判断してはいけない、という好例だと思います。
その USB を無線化するということは、USB ケーブルが無くなるかわりに接続機器側に電源機能(電池ないし AC アダプタ)が必要ということであり、差し引きゼロです。むしろ機器の大型化やコスト増という面でデメリットのほうが多いかも知れません。しかも「3m 以内で 480Mbps」という、普通の USB ケーブル一本で充分届く範囲の無線化ということに、それを上回るだけの利便性や魅力があったのでしょうか?
私はWireless USB の推進者に対し、USB の展示会やカンファレンスでこの手の質問を浴びせてみましたが、納得できる答えが返ってきた試しがありませんでした。「ケーブルは無いほうが良いに決まってるじゃないか」とか「Wireless USB が普及すれば電池搭載なんて当たり前になる」とか、現実を無視した定性論だとか、成功を前提とした空論が多かったと記憶しています。当時Wireless USB の成功は確実だと考えられていましたが、それは多分に「ケーブルは無いほうが良いに決まっている」という思い込みと「あの intel が推進しているんだから」という他力本願に根差した思考停止だったのではないか、と今になっては思います。
(※註)自慢のようになりますが、私は社内で「Wireless USB に期待し過ぎるのは危険」と主張し、UWB の想定アプリケーションを「会議室におけるプロジェクタの VGA ケーブルの無線化」に集中しました。結果としてその製品化も成功はしませんでしたが、「右にならえ」で安易に Wireless USB に手を出さなかったことは誇りに思っています。
一体どうすれば良かったのか?
今頃になって後知恵を並べるのも恥ずかしいことですが、あえて羅列してみると
- 500~1Gbps の高速性能ばかりに惑わされず、インパルス UWB の持つ独特の可能性も追求すべきだった。
- IEEE 802.15.3a 委員会が紛糾した経緯には致し方ない事情もあるが、投票賛成 75% 割れで再検討を何度も繰り返す愚を避ける方法はあったのではないか。
- MB-OFDM 方式をデファクトスタンダードに仕立てようとしたのは時期尚早だった。もっと時間をかけ、各方式について実機テストに基づいた利害得失が比較検討されるべきだった。
- Wireless USB への過度な期待は、逆にユーザーを失望させる元凶の一つになってしまった。「既存 USB 製品の××パーセントが無線化されただけで××万ドル市場」という売り文句は狸の皮算用であることに気づくべきだった。
といったところでしょうか。
Lessens Learned
かつて1960年代に超音速旅客機・コンコルドの計画が発表されたとき、ソ連では対抗してTu-144を作りましたし、アメリカもボーイングB-2707の試作にかかるなど世界中が「超音速旅客時代」を夢見ました。「超音速」という製品の魅力は、高額な単価も騒音も劣悪な燃費も狭い客室の不便も上回るだろう...「飛行機は速い方が良いに決まっている」というある種の思考停止があったようです。しかし、コンコルドが直面した現実はデメリットばかりが目立つものでした。同時期に開発されたボーイングB-747ジャンボジェットが21世紀に入ってもまだ量産継続され生産機数1400機以上を誇るのに対し、14機しか商業就役できなかった(しかも開発元のフランス・イギリスが自腹を切って購入するかたちになった)コンコルドとの明暗はあまりにも鮮烈です。
「速いほうが良いに決まっている」あるいは「有線より無線のほうが良いに決まっている」という思い込みで突っ張って失敗したUWBの経緯は、コンコルドの物語に通じるものがあるような気がします。しかし、ある技術が華々しく発表され大きな期待が集められているときに、「本当にそれは良いものなのか?」を問うのはなかなか難しいものがあると思います。
Lessens Learned
かつて1960年代に超音速旅客機・コンコルドの計画が発表されたとき、ソ連では対抗してTu-144を作りましたし、アメリカもボーイングB-2707の試作にかかるなど世界中が「超音速旅客時代」を夢見ました。「超音速」という製品の魅力は、高額な単価も騒音も劣悪な燃費も狭い客室の不便も上回るだろう...「飛行機は速い方が良いに決まっている」というある種の思考停止があったようです。しかし、コンコルドが直面した現実はデメリットばかりが目立つものでした。同時期に開発されたボーイングB-747ジャンボジェットが21世紀に入ってもまだ量産継続され生産機数1400機以上を誇るのに対し、14機しか商業就役できなかった(しかも開発元のフランス・イギリスが自腹を切って購入するかたちになった)コンコルドとの明暗はあまりにも鮮烈です。
「速いほうが良いに決まっている」あるいは「有線より無線のほうが良いに決まっている」という思い込みで突っ張って失敗したUWBの経緯は、コンコルドの物語に通じるものがあるような気がします。しかし、ある技術が華々しく発表され大きな期待が集められているときに、「本当にそれは良いものなのか?」を問うのはなかなか難しいものがあると思います。