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無線LANが目指すもの(1)

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802.11ad 無線LANが目指すもの

事実上、世界で最初に普及した無線 LAN といえる IEEE 802.11b 規格が世に出たのは 1999 年の 9 月でした。それから 10 年と少しの時間が経ち、今の無線 LAN は IEEE 802.11n 規格が主流となりつつあります。11Mbps だった伝送速度は理論上最大 600Mbps となり、「無いも同然の安全性」と悪口を言われた WEP も強力な WPA に置き換えられました。とかく問題になりがちな初期設定についても、ボタンを押すだけで接続が完了する WPS が普及しつつあります。
今後、無線 LAN はどのように進化してゆくのでしょうか。今回のシリーズでは無線 LAN 業界で起こりつつあるトレンドに、少々主観的な評価を交えてその未来像を語ってみます。まず第一回は人間の飽くなき欲望、「より速く」についてがテーマです。

より速く...その1:マルチストリーム化

802.11n では MIMO (※註)と呼ばれる技術を用い、送信器~受信器間で複数のアンテナ間ごとに独立した通信チャネル(ストリーム)を持たせることで高速化を実現しています。単純に言えばストリームの数が増えるほど速度が上がる筈で、これを「マルチストリーム」と呼んでいます。現状の 802.11n 仕様では1ストリームあたり最高 150Mbps × 最大4ストリームという計算で「理論上最大 600Mbps」という仕様が規定されています。従来販売されていた 802.11n 製品は1ないし2ストリームが主流でしたが、最近になって3ストリームのものが市場に登場してきました。

(※註)Multi-Input / Multi-Output の略で MIMO です。「ミモ」と発音することも多いです。

では、今後は3ストリームや4ストリームのものが主流になってゆくのでしょうか?ここはちょっと判断が難しいところです。MIMO はその原理上複数本のアンテナが必要になり、受信側ではふつうストリーム数+1本のアンテナを用います。しかも MIMO のアンテナはある程度の距離(1/2波長以上、2.4GHz 帯の場合は約 6cm)を離して設置する必要がありますので、多ストリームの MIMO 機器はアンテナが四方八方から突き出した「芸者のカンザシ」みたいな格好になってしまいます。PC やタブレットではシート型やチップ型の内装アンテナを使って筺体内に隠すことはできますが、スマートフォンなど小型携帯機器では実装面積そのものが足りず、マルチストリーム MIMO に対応するアンテナを設置できません。

まとめ
マルチストリームによる高速化は現有技術からの大きな飛躍なく高速化を実現できることが特長ですが、小型化、低コスト化、低消費電力化が難しい欠点があります。PC や据え置き TV のような分野には普及してゆくかも知れませんが、2ストリーム以上の MIMO を小型携帯機器に搭載するのは原理的に無理があると思います。


より速く...その2:広帯域化

速度を上げる手段としては、マルチストリーム以外にも「広帯域化」という技術があります。現状の 802.11n でも「HT20」と「HT40」というモードがあることは御存知でしょうか?従来の無線 LAN(802.11a/b/g)では1チャネルあたり帯域 20MHz を使っていたのですが、802.11n ではオプションとして帯域 40MHz を使うモードが追加されているのです。上で「1ストリームあたり最高 150Mbps」と書いてあるのはこの HT40 モードを使用した場合の性能で、HT20 モードで使う場合は半分の 75Mbps となります。HT40 の発展形として、チャネル帯域を更に倍の 80MHz や 160MHz に拡張し、現在の2~4倍の速度を実現する IEEE 802.11ac 規格も検討されています。
広帯域化はマルチストリームのようにアンテナをニョキニョキ生やす必要がないので、小型携帯機器にも実装できます。内部の回路も殆どそのまま対応できますので、高速化に伴う部品点数の増加もありません。これだけ聞くと良いことづくめのような気がしますが、現実はそう甘くありません。チャネルあたりの帯域を増やすということは、使えるチャネル数が減るということです。使えるチャネル数が減るということは、隣近所の無線システム同士が混信して性能低下を招く「干渉」が起こりやすくなる、ということです。

2.4GHz 帯は日本の場合 13 チャネルが定義されていますが、2.4GHz 帯チャネルでは周波数が重複しているため干渉なく使えるのは HT20 でも 3 チャネルしかなく、HT40 では実質 1 チャネルしか使用できません。2.4GHz 帯ではこのような周波数制限のため、広帯域化による高速化には現実性がありません。
 

2.4GHz帯におけるチャネル割り当て

2.4GHz帯におけるチャネル割り当て

 

5GHz 帯は日本の場合 5.2, 5.3, 5.6GHz の3バンドが定義されています。5.2GHz と 5.3Ghz 帯では重複しない HT20 の帯域が合計 8 チャネルが定義されており、最も新しく制定された 5.6GHz 帯では HT20 x 11 チャネルが確保されています。従って 802.11ac による高速化に現実性がありますが、これはあくまで日本における話です。
 

5.2/5.3GHz帯におけるチャネル割り当て

5.2/5.3GHz帯におけるチャネル割り当て

 

5.6GHz帯におけるチャネル割り当て

5.6GHz帯におけるチャネル割り当て


5GHz 帯のチャネル定義は各国ごとに異なり、中国や韓国のように HT20 x 4 チャネルしか認可されていない国もあります。このような地域では 2.4GHz 同様、広帯域化による高速化は実現できません。

まとめ
広帯域化による高速化も現用技術からの大きな飛躍が必要なく、小型化や低消費電力化が容易な特長があります。しかし必要な帯域を確保できる周波数が少なく、干渉による性能低下を避けにくい欠点もあります。802.11ac による高速化は HT40 の発展型として自然に普及してゆく可能性が高いですが、本当に2倍・4倍の高速化が実現できるかはその国の電波法や使用環境での干渉状況に左右されるため、次世代無線 LAN を担う高速化の切り札というには今一つ頼りない印象があります。


より速く...その3:ミリ波の使用

2.4GHz や 5GHz 帯での広帯域化が法律によって阻まれるならば、いっそ全然違う周波数を使ってはどうかという話になります。目指す新天地は「ミリ波」とも呼ばれる 60GHz 帯。国によって違いはありますが、57~66GHz の範囲で連続した約 7GHz 帯域幅の利用が認められています。この帯域を使う無線 LAN としては IEEE 802.11ad 規格が検討中であり、これと並行して WiGig と呼ばれる標準化団体も活動しています。

ミリ波には「広帯域が取れる」という以外に「干渉の影響が少ない」という特長があります。ミリ波は酸素分子と共鳴して減衰するため空気中での伝達距離が短く、壁やガラス窓のような障害物もほとんど透過しません。またミリ波はレーザー光線のように鋭い指向性を持つため(※註)、アンテナの指向方向以外にはほとんど電波が飛びません。2.4GHz では隣近所数十メートル半径の電波がお構いなしに飛び込んでくるのに対し、60GHz では薄壁一枚隔てた隣部屋の電波すら入ってこない可能性が高いのです。この特性は干渉しにくいだけでなく、「盗聴されにくい」という特長にもなります。

(※註)ミリ波技術はもともと鋭い指向特性を活かし、ミサイル誘導など軍事技術として発展してきた経緯があります。「AH-64Dロングボウ・アパッチ」といえば、判る人には判るかも知れません。

しかしミリ波の特徴である高指向性は、「無線 LAN」として使用するときの障害でもあります。アンテナ設置角度がわずかにずれただけで通信不通になってしまうようでは、固定機器間での運用も難しいでしょう。まして動き回る複数の機器相手に通信しようと思ったら、軍用の照準レーダーみたいにアンテナを上下左右に動かして通信相手を「ロックオン」する必要があります。一体、そんなことができるのでしょうか。
実は、それが「できる」という技術があります。平面上に小さなアンテナを沢山敷き詰め、各アンテナの位相を電気的に変化させることで指向性を操作するフェイズド・アレイ・アンテナという技術です(※註)。このような仕組みを使って電波の指向特性を操作することを「ビーム・ステアリング」と呼んでいます。

(※註)これも元を辿れば軍事技術です。「イージス艦の艦橋に張り付いている六角形の板」といえば、判る人には判るかも知れません。

アレイ・アンテナによるビームステアリングは米国 SiBeam 社がその先鞭を付け、60GHz を使う WiHD (Wireless HDMI) 規格に採用されています。しかしまだ実装面積も消費電力も大きく、小型携帯端末に搭載できる状態にはなっていません。

まとめ
ミリ波技術には新たな高速無線通信の可能性があり、1Gbps を超える速度も夢ではありません。しかし従来の無線 LAN とは文字通り桁違いに高い周波数を使うため、その実用化にはビームステアリングを始めとする幾つかのブレークスルーを必要とします。前述した WiHD で第一世代の製品が世に出つつありますが、これが小型端末に搭載されるほど普及するにはまだ数年の時間を要するように思えます。


以上「より速く」というテーマに関して、無線 LAN 技術の傾向とその利害得失を簡単に紹介してみました。あちらを立てればこちらが立たず、一石二鳥の解決法というのはなかなか無いものだ、ということがお判り頂けるかと思います。この中のどれかが市場の主流を占めるのか、それとも時期や用途によって使い分けられるのか、ひょっとして全く新しい技術が登場して全ての問題を一挙に解決するのか...。予測は難しいですが、非常に面白い話題だと個人的には思います。

「高速化」についてはまだシャノン方程式とか UWB とかのネタもありますが、次回は全く違う視点から「無線 LAN の近未来」を占ってみたいと思います。


 

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