Wireless・のおと

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ワイヤレス・のおとメディア小論(3)

2015年1月23日 17:00
YS
前回はコンピュータネットワークの誕生から今日のインターネットに至るまでをおさらいしてみました。今回はインターネットへの接続手段についてのおはなしです。
Dialup to Broadband
インターネットの接続も当初は PC 通信と同じく既存インフラへの寄生...デジタルデータを音声信号に変換して電話に流す「モデム(MODEM, MOdulator-DEModulator)」が使われていました。70 年代の EDPS 接続や草の根ネットワークでは既存電話器の受話器をはめこんで使う音響カプラ(Acoustic coupler)が使われており、150~600bps の「流れてくる文字が1文字づつ読める程度」の速度で通信していました。
80 年代に入ってコンピュータを電話回線に接続する専用機器であるモデムが登場すると、速度は 1200, 2400, 4800, 9600, 14.4K, 28.8K, 33.6K, 56K... という風に、数年毎に2倍の速度で改良されてゆきました。90 年代末期には 56Kbps モデムの標準規格をめぐって U.S Robotics 社の X2 方式と Rockwell/Lucent 社の K56FLEX 方式が(不毛な)争いを繰り広げたのも昔話です。
これら電話回線を使った接続方式は「ダイヤルアップ方式」と呼ばれました。使いたいときにプロバイダーの基地局へ電話をかけ、使い終わったら切断するという方式です。当然ながらプロバイダー料金に加えて電話料金が掛かるので、特に通話料の高い日本では「テレホーダイ」など深夜の通話割引サービスが重宝されましたが、これももう昔話ですね。

さて 90 年代後半になってインターネットの利用価値が高まるにつれ、ダイヤルアップよりも高速で確実な専用のインターネット接続、俗に言う「ブロードバンド接続」への要望が高まってきました。これは「ラスト・ワンマイル」問題とも言われ様々な方式が提唱されましたが、最終的には電話回線に高周波を流す ADSL 方式がほぼデファクトスタンダードとして定着しました。2000 年以後は 100Mbps 以上のリンク速度を誇る光ファイバー(FTTH:Fiber To The Home)が特に日本の都市圏で普及し ADSL を次第に置き換えていますが、世界的にはまだ少数です。
ブロードバンドはダイヤルアップよりも高速であると同時に、「いつでも使える」常時接続であるところも肝です。「ネットがあるのが当たり前」「つながっているのが当たり前」という、90 年代には大学や大企業の研究所にしかなかった環境が普通の一般家庭に普及していることは、よく考えてみると凄いことなのですね。


64-64-128
ダイヤルアップや ADSL の趨勢とは別に、日本では 1990 年代中頃、郵政省(当時)の電話回線デジタル化方針(INS:Information Network System)に伴って家庭電話回線の ISDN 化が推進されていました。家庭向けには 64Kbps の容量を持つ B ライン2本と制御用の D ラインをまとめた 2B+D 回線で最大 128Kbps のデジタルデータ通信サービス(NTT での商品名「INSネット64」)が提供され、「ロクヨン・ロクヨン・イチニッパ」のキャッチコピーで売り込みが行われました。
当時のダイヤルアップモデムはやっと 56K が出てきた時代であり、128Kbps の ISDN 回線はそれなりに訴求力を持っていました。しかし ISDN はあくまで「デジタル電話」であり、通話料を払ってプロバイダに電話を掛けなければ接続できない事はアナログ電話と違いなく、「ブロードバンド接続」と呼ぶには中途半端なものでした。2000 年には常時接続・定額制の「フレッツ ISDN サービス」もスタートしましたが、64Kbps(1B 回線)というスペックは 1.5~8Mbps の ADSL や 100Mbps 以上の FTTH に大きく見劣りするもので、ブロードバンド接続の主流にはなれませんでした。
ISDN は 1970 年代の OSI 構想にその源流があり、その盛衰は OSI と IP という「建前と本音の2つの標準」の歴史でもあります。この話もいつか機会があればやりましょう。


Wireless World
さて 2000 年頃には普及期を迎えていた有線のブロードバンド接続にくらべ、移動体へのインターネット接続サービス(すなわち無線インターネット)の普及は遅れました。特に日本では NTT Docomo の提供する独自のネットワークサービス「i-mode」が普及しており、NTT が IP 接続サービスの提供に消極的だったことも一因になっています。
海外では GSM(2G) や CDMA(3G) 方式で IP 接続サービスが提供されましたが、当初は携帯端末の能力が低くてモノクロキャラクタ表示しかできないため、PC に接続してモデム代わりに使う以外にはあまり使い道がありませんでした。低機能端末から WWW の参照を行うための簡易 WEB プロトコル「WAP (Wireless Application Protocol, 1999)」が定義されたりしましたが、あまりにしょぼいために「What A Pity(何と惨めな代物)」と揶揄される始末でした。
この状況を一変させたのが高解像度カラー画面を備えたスマートフォン(Smartphone)で、特に 2007 年に発売された Apple iPhone の大ヒットは人とインターネットの関わりかたを一変させました。モバイルインターネットは「一部マニアの物好きな趣味」から「誰でもやっている当たり前のこと」になり、出先で時刻表を調べたり、空港近所のホテルやレストランを調べるのにインターネットを使うのが「むしろ当たり前」になるという価値観の変化を引き起こしたのです。
iPhone に続いて Android を筆頭とする多機種のスマートフォンが登場し、携帯キャリアは爆発的に増大するデータ回線容量負荷に対応すべく「3.5G」「3.75G」などと呼ばれる過渡的な速度向上を行いながら、「4G」と呼ばれた次世代デジタル携帯規格標準の座を巡って激しい水面下の争いが勃発します。とりわけ IEEE802.16e WiMaxWillcom XGP は注目を集めて話題になりました。これらは技術的優劣の話もさることながら、異種業界から携帯キャリア業界に叩きつけられた挑戦状でもありました(WiMax は電器業界、Willcom は PHS キャリア)。
しかしその結果は御存知のように、XGP は Willcom 社とともに敗退。WiMax は日本の都心部で限定的な成功を収めたのみで、世界的には携帯キャリア業界が当初「3.9G」と呼んでいた LTE 方式が「事実上の 4G」として認識されるに至ります。LTE とは Long Term Evolution の略ですが深い意味のあるものではなく、「3.5G や 3.75G のような付け焼刃ではない」という程度に取っておけばよいでしょう。

これら 4G 技術はほとんど基礎原理を同一にしており、IEEE802.11n 無線 LAN でお馴染み MIMO-OFDM を採用しています。また 4G LTE では未だに 3G 互換の音声サービスと OFDM のデータ接続サービスが別フォーマットで混在しているので、いっそ全部データ網に統合してしまおうという VoLTE (Voice over LTE) も進められています(またこれを「4.5G」と呼んだりするのかな?)。


5GHz for 5G?
次世代の無線サービスとして「5G」という言葉も語られており、施行は 2020 年以降とも言われていますが、この業界では鬼が腹を抱えて笑うような先の話です。5G では 1Gbps を目指すとも言われていますが目標指針のようなもので、技術方針も決まっていなければ実現の見込みがある訳でもありません。
電波を媒体として使う限り、伝送情報量の上限値はフリス公式とシャノン公式によって(放射電力と周波数幅によって)決まってしまいます。そして今日の多値 QAM x OFDM マルチキャリア伝送はシャノン限界に近い伝送効率を実現しており、4G LTE が既に MIMO-OFDM をやっている以上、同じ周波数を使う限りこれを大幅に超える速度向上は望めません。行政が新たな(しかも広い)周波数を解放してくれることも期待できないでしょう。
5G の議論を見ていると 60GHz や 90GHz のミリ波、あるいは可視光(Li-Fi)を使うなどという突拍子もない提案も出ていますが、案外 IEEE802.11ac 無線 LAN がセルラー網に取り込まれて「事実上の 5G」 と呼ばれるようになるのかも知れません。携帯業者が LTE 網の負荷分散のため積極的に WiFi ホットスポットを立てて回っている現状を見ると、それがいちばん現実的な気もします。


まとめ
音響カプラから 4G LTE まで、これまた 40 年くらいの歴史をおさらいしてみました。アナログ音声を交換する電話ネットワークに寄生するメタ・メディアだったデータ通信が爆発的に普及し、逆に電話網が IP データネットワーク上に再構築されようとしている(VoIP, VoLTE)様子が浮き彫りになった気がします。この 40 年でコンピュータがそれだけ小型・高性能・安価になったということですね。こんにち 2000 円くらいで売られている Bluetooth ヘッドセットに入っている 5mm 角くらいのコーデックチップの内蔵 DSP でさえ、その演算速度は 1970 年代に EDPS 室を占領していたメインフレームを凌駕するでしょう(さすがに記憶容量は敵わないでしょうが)。当たり前のように享受している技術の進歩ですが、改めて考えてみると物凄いことです。
LTE サービスとスマートフォン(スマートパッド)は 1972 年にアラン・ケイが提案した未来の情報デバイス「Dynabook」構想に近いものです。何処にでも持ち歩け、誰でも使える簡単な操作で、何処からでもネットワークに接続して世界中とデータ交換できる通信装置。40 年前にこれを構想していた先進性には尊敬を払わざるを得ません(日本では 1980 年代に坂村健氏が TRON 構想のなかで「どこでもコンピューティング」を提案しており、これも尊敬に値する慧眼です)。逆に言えば、40 年前には夢物語だった未来が我々の掌の上に実現しているのです。
もちろん「空港近所のホテルやレストランを探す」という便利な日用品としての価値も大きいのですが、そういう「今まで出来ていた事がより手軽になった」という量的な改善だけでなく、スマートフォンと高速無線ネットワークがもたらすコミュニケーション能力によって、何か質的な革新は起きないのでしょうか。端的に言って戦争だとか人種・民族・性別差別だとか、そういう人類史始まって以来の課題が、これによって多少でも解決すればよいのですが...インターネットが結局「便利な日用品」になってしまったように、そんな革新はすぐには望めないのかもしれません。革新とはそれ自体を目的として起きるものではなく、まず「便利な日用品」が普及して人の価値観や行動が変化した結果として現れるものなのかも知れません。

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