Wireless・のおと
サイレックスの無線LAN 開発者が語る、無線技術についてや製品開発の秘話、技術者向け情報、新しく興味深い話題、サイレックスが提供するサービスや現状などの話題などを配信していきます。
有線ネットワークのはなし(イーサネット昔話)
前回に引き続いて有線ネットワークの話、今回は御存知イーサネットについて取り上げます。
イーサネットの誕生
今でこそ有線ネットワークといえばイーサネット(Ethernet)の一族を指しますが、イーサネットには長い歴史があります。もともとイーサネットは 1970 年代にゼロックス社のパロアルト研究所(PARC)によって次世代コンピュータ試作機「ALTO」用として開発されたものでした。「イーサネット」という名前も同社の登録商標であり、厳密にはゼロックス純正以外のイーサネット互換機器は「IEEE 802.3 規格」ではあっても「イーサネット」とは呼べません。
ALTO は「ネットワーク(イーサネット)」「ウィンドウシステム(GUI)」「マウス」という三種の神器を備えた画期的なコンピュータであり、これを見学したスティーブ・ジョブス氏が Macintosh を着想したことは広く知られています。しかし ALTO は画期的すぎたがゆえにゼロックス社の管理職には「研究所のヒマ潰し」「高価なオモチャ」程度にしか理解されず、ALTO が持っていた可能性はほとんど同社の事業としては活かされませんでした。
ともあれ、最初のイーサネット(Ethernet 1.0)は直径 12mm の同軸ケーブル(黄色の被覆材を用いる慣例から「イエローケーブル」と通称された)で最長 500m、通信速度 10Mbps を実現しており、1970 年代としては画期的な高速・長距離のネットワーク技術でした。ただし太くてゴツい同軸ケーブルの取り回しは容易ではなく、またケーブルにコンピュータを接続するためにはケーブル被覆に穴を開けて金属針をねじ込み(「タップ」と呼ばれた)、アナログ回路のフロントエンドを経て 15pin の多芯ケーブル(トランシーバーケーブル、後の IEEE 802.3 規格では AUI ケーブル ※註)でコンピュータ側の 15pin インターフェースに接続する必要がありました。
(※註)イーサネット仕様のトランシーバーケーブルと IEEE 802.3 仕様の AUI ケーブルは一部仕様が異なり、最も異なるのは AUI 仕様ではパケット終了毎に衝突検出信号が強制送出される SQE(Signal Quality Error test) と呼ばれる信号が追加されたことでした。うっかり SQE スイッチを ON のままリピータに接続してネットワークダウンさせちゃった、というのは当時の SE が体験した「よくある失敗」の一つです。
10BASE-2 とイーサネットの普及
この不便を解消するため 1980 年代に開発されたのが「シン・イーサネット(Thin Ethernet)(※註)」と呼ばれるもので、直径 5mm の RG-58A/U 同軸ケーブルを用い、半回転させて止める BNC 型コネクタを使用することによりタップや AUI ケーブルの必要も無くなりました。ケーブル最大長は 500m から 185m と短くなりましたが低価格化と利便性の向上は歓迎され、それまで研究所や大学で使われていたイーサネットが民間企業にも普及してゆく契機となりました。弊社がネットワーク関連製品開発に乗り出したのも丁度この頃です。同じ頃にイーサネットは IEEE 802.3 標準として規格化され、イエローケーブル・イーサネットは「10BASE-5」、シン・イーサネットは「10BASE-2」という規格名でも呼ばれるようになります。
(※註)「シンネット(ThinNet)」や「チーパーネット(CheaperNet)」という呼称もありましたが、あまり多用はされませんでした。
イーサネットの技術的特徴は「CSMA/CD (Carrier Sense Multiple Access / Collision Detection)」という仕様にありました。Multiple Access とは「1本のケーブル上に複数のノードが接続される」バス型アーキテクチャであること、Carrier Sense は「送信前にケーブル使用状況を確認する」分散型制御であること、Collision Detection は「送信中に衝突検出(複数ノードが同時に送信していないかどうか)を行い、衝突検出があれば速やかに送信を中断する」ことを意味しています。この中でも衝突検出はイーサネットの特徴で、当時のネットワークアーキテクチャではツリー型やトークン型が多く、バス型でも衝突検出は行わないものが普通でした。衝突検出はネットワーク効率を高める反面、アナログ部品で構成された衝突検出回路は低価格化・小型化に難があるとされ、「家庭用・小規模オフィス用には適さない」とも言われていました。この隙間を狙って「家庭用向き」と称する安価なネットワークアーキテクチャが幾つか提案されますが、それらは次の 10BASE-T の成功によってほとんど消え去ることになります。
10BASE-T から 100BASE-T へ
10BASE-T は 1980 年代後半、それまでの同軸ケーブルに代えて対撚り線(Twisted Pair)を用いる仕様として登場しました。それまで「1本のケーブルに複数のノードがぶら下がる」構成だったものが、10BASE-T では複数のノードが集線装置「ハブ」に1本づつのケーブルで接続される「スター型」の構成になります。コネクタも金属製の BNC から RJ-45 と呼ばれるプラスチック製のものに変わり、更なる価格低下が可能になりました。今ではイーサネットと言えば RJ-45 ツイストペア線のほうが当たり前で、イエローケーブルとか RG-58A/U 同軸ケーブルなんて 40 代以上の歳寄りしか知らないでしょう。安価で使い勝手の良い 10BASE-T の登場により、イーサネットは企業だけでなく家庭にまで浸透してゆくことになります。
その次の発展は 1990 年代ですが、これが少々混乱します。速度を 10Mbps から 100Mbps に向上する方向性として 100BASE-VG AnyLAN と 100BASE-T という二つの非互換規格が提案され、さらに 100BASE-T にはケーブル仕様が微妙に異なる 100BASE-TX, 100BASE-T2, 100BASE-T4 という3規格が併存(※註)することになりました。これらに加えて起死回生を掛けた IBM の 100Mbps 版 Token Ring と OSI 構想を背景に持つ 155Mbps の Desktop ATM が「我こそは次世代 LAN の標準なり」を名乗って参入、「100Mbps の次世代ネットワーク標準」は一時的な混乱に陥ります。しかし1年そこらで 100BASE-TX のデファクトスタンダード化は明らかになり、(幸いにして)混乱は比較的短期間で収束しました。なお 100BASE-T は「ファーストイーサネット」とも呼ばれます。
(※註) 100BASE-T に複数のケーブル仕様が提案されたのは、10BASE-T 用に敷設された配線(カテゴリ3ケーブル)をそのまま使用する利便を考慮したものでした。結局主流となった 100BASE-TX ではより伝達性能に優れたカテゴリ5ケーブルを使用します。
90 年代中頃から、それまでのハブ(ダムハブ)に代わって「スイッチ」が登場します。ハブとスイッチは見た目も使い方も同じなのですが、ハブはあくまでアナログ的な集線装置であり、ハブに接続された全てのケーブルは電気的には1本のケーブルとして振る舞います。しかしスイッチでは全てのケーブルはアナログ的に切り離されており、受信されデコードされたデジタルデータが改めて送信されて中継されます。これがどういう事かというと、ダムハブではネットワーク上の何処かで誰かが送信すればその送信データは全てのノードに伝達されるのに対し、スイッチでは送信アドレスで指定されるノードに選択的に配送されるだけなので、衝突が減って回線使用効率が良くなる利点があります。またダムハブには伝達遅延を範囲内に収めるため「ハブのカスケード接続は3段(=ハブ4台)まで」という制限がありましたが、スイッチではアナログ的な制約から解放されるため、ほぼ無制限にスイッチを重ねて接続できる利便もあります。
スイッチにはハブの代替品である単純スイッチのほか、「インテリジェントスイッチ」と呼ばれる高機能なものがあります。後者はネットワーク上のループ検出(スパニングツリー検出)や特定アドレスの排除(フィルタリング」)、接続ノードの認証(IEEE 802.1X EAP)、トラフィックの優先順位付け(IEEE 802.1p QoS)、仮想ネットワーク化(IEEE 802.1q VLAN)などの高度な機能を持ち、企業ネットワークにおいては必要不可欠なものになっています。
ギガイーサネットとその先
100Mbps 化の次は 1Gbps 化、通常「ギガイーサネット」でした。今度は複数規格提唱による混乱も無く 1999 年には IEEE 802.3ab 1000BASE-T として規格制定されたものの、10BASE→100BASE の時に比べると製品化はゆっくりしたペースで進みました。100BASE-TX 規格制定から 10 年も経たぬうちに 10BASE only の製品がほぼ絶滅したのに対し、1000BASE 規格制定から 15 年が経った 2014 年現在も 100BASE only の機器は健在です(少しづづ減ってはいますが)。データセンターのような業務システムならともかく、家庭や小規模オフィスでは 100Mbps 回線でも日常的な用途には「ほぼ充分(Good enough)」という理由が大きいでしょう。またネットワークの使用方法がローカルノード間の通信よりもインターネット接続の比重が高くなり、家庭や小規模オフィスでアップリンク回線が 100Mbps を超えることは多くないため、ローカル接続だけ 1Gbps に上げても有難味を感じないという理由もありそうです。
ギガイーサネットでは「ジャンボフレーム」という仕様も取り入れられました。イーサネットは最初の Ethernet 1.0 以来ヘッダ長 14 バイト+データ長 1500 バイトという仕様だったのですが、ジャンボフレームは高速化のためデータ長上限を拡大(※註)したものです。ただし IEEE 802.3 標準には含まれておらず、細部仕様はメーカー依存で異なっています。
(※註)8000~9000 バイトのものが多く、大きなものでは 16K バイトの製品もあります。
ギガイーサネットの次には 10G イーサネット(10GBASE)規格や 100G イーサネット(100GBASE)規格が制定されており、更にその上に 1000G イーサネットも規格検討中です。これらはデータセンターやストレージネットワーク(SAN)の用途が期待されていますが、1G イーサネットの普及も足踏みしている現状では、これらが一般消費者に使われるようになるのはだいぶ先になりそう(ひょっとすると未来永劫ないかも?)です。
イーサネットと IEEE 802.2
ゼロックス社のイーサネットを IEEE で標準化した規格が「IEEE 802.3」ですが、「IEEE 802.2」という言葉を聞いたことがあるかもしれません。IEEE 802.2 というのは LLC(Link Layer Control) と呼ばれ、1980 年代に併存した複数の異なるネットワーク規格(Ethernet, TokenRing, FDDI, ARCNet, OmmniNet, etc...)を共通化するための中間層として規定されたものです。
イーサネットでは既述のように 14 バイトのヘッダ(6 バイトの送信先アドレス、6 バイトの送信元アドレス、2 バイトのパケットタイプ)と 1500 バイトのデータを持ちますが、IEEE 802.2 ではデータの一部を削って LLC ヘッダを埋め込みます。LLC ヘッダは SSAP, DSAP, CTRL の最小3バイト(ただし CTRL は可変長で4バイトになる場合もあり)、更にその後に 3バイトの OUI ID、2バイトのパケットタイプが追加される場合もあり、これを SNAP(Sub Network Access Protocol) ヘッダとも呼びます。
IEEE 802.2 LLC を用いる場合、イーサネットヘッダ部のパケットタイプフィールドは意味が変わり、ここにはパケット長を入れると規定されています。幸い、最も多用される IP 系のタイプ値には標準イーサネットの最大データ長 1500 を超える数字(IPv4:0x800=2048, ARP:0x806=2054, IPv6:0x86dd=34525)が使用されているため、ジャンボフレームを使わないかぎり 802.3 フレームと 802.2 フレームが混信することはありません。
LLC を使えば異なるアーキテクチャのネットワーク間でも互換性を保つことができ、更には信頼レベルやサービスタイプなどの追加情報を相乗りできる...という構想でしたが、はっきり言って「誰も必要としない発明」でした。そもそも前提としていた「複数の異なるネットワークアーキテクチャ」という状況が IEEE 802.3 系(およびその無線版である IEEE 802.11)の一人勝ちによって意義を喪失したという背景もありますが、可変長のビットフィールドしかも最小構成が奇数バイト長のヘッダというのは考え過ぎは休むに似たりというか、OSI の怨霊が取り憑いたというか、メモリ上でのワードアライメントを重視するネットワーク実装技術のトレンドから見て前時代的な代物でもありました。現在では 802.2 が果たす筈だった役目は 802.1 系の拡張規格と、トランスポート層として TCP/IP を用いることで実現されています。
おそらく最も広範囲にかつ長く使用された IEEE 802.2 系のプロトコルはマイクロソフトの「Windows ファイル共有」が使用した NetBEUI でしょう。NetBEUI がわざわざ 802.2 フレームを採用したのは Windows ファイル共有の祖先が IBM の LAN Manager であり、IBM の宿命として自社ネットワーク規格であるトークンリングとデファクトスタンダードであるイーサネットの両方をサポートする必要があったからだと思われますが、NetBEUI はトークンリングが事実上絶滅した後もずいぶん長く(Windows 9x 系の PC が退役するまで)使われました。
まとめ
以上、イーサネットについて思いつくことをつらつらと書き並べてみました。1980 年代と言えばまだ PC 用ハードディスクも普及しておらず、1枚 1.2 MByte の 5 インチ 2HD フロッピーを一生懸命カチャカチャとコピーしていた頃です。イーサネットは 10Mbps だって?!2HD フロッピー1枚が1秒で転送できるじゃないか!と思ったものの、自分がイーサネットを使うようになるのはずっと後の話でした。一応当時の弊社にもワークステーション HP9000/300 がありましたが、繋がる相手がいないのでネットワークは殆ど活用されず、シリアルポート拡張基盤を入れてダム端末5~6台を接続し TSS 使用するという時代錯誤をやっていたのも昔話です。
混迷の時代はとうに去り、今ではイーサネット、特に 100BASE-T は「付いていて当たり前」「動くのが当たり前」のコモディティになった気がします。多少なりともイーサネット関連製品開発に携わってきたエンジニアとしては誇るべきことでしょう。ただここ数年はノート PC の薄型化、更にスマートフォン・タブレットの普及によって必ずしも「付いていて当たり前」ではなくなり、その代わりに WiFi が「当たり前」になりつつあるように感じます。WiFi を動かすバックボーンとしてのイーサネットの地位が揺らぐことは当分ないでしょうが、イーサネットは一般消費者が直接手にする機会の少ない、裏方の技術になりつつあるのかも知れません。
今でこそ有線ネットワークといえばイーサネット(Ethernet)の一族を指しますが、イーサネットには長い歴史があります。もともとイーサネットは 1970 年代にゼロックス社のパロアルト研究所(PARC)によって次世代コンピュータ試作機「ALTO」用として開発されたものでした。「イーサネット」という名前も同社の登録商標であり、厳密にはゼロックス純正以外のイーサネット互換機器は「IEEE 802.3 規格」ではあっても「イーサネット」とは呼べません。
ALTO は「ネットワーク(イーサネット)」「ウィンドウシステム(GUI)」「マウス」という三種の神器を備えた画期的なコンピュータであり、これを見学したスティーブ・ジョブス氏が Macintosh を着想したことは広く知られています。しかし ALTO は画期的すぎたがゆえにゼロックス社の管理職には「研究所のヒマ潰し」「高価なオモチャ」程度にしか理解されず、ALTO が持っていた可能性はほとんど同社の事業としては活かされませんでした。
ともあれ、最初のイーサネット(Ethernet 1.0)は直径 12mm の同軸ケーブル(黄色の被覆材を用いる慣例から「イエローケーブル」と通称された)で最長 500m、通信速度 10Mbps を実現しており、1970 年代としては画期的な高速・長距離のネットワーク技術でした。ただし太くてゴツい同軸ケーブルの取り回しは容易ではなく、またケーブルにコンピュータを接続するためにはケーブル被覆に穴を開けて金属針をねじ込み(「タップ」と呼ばれた)、アナログ回路のフロントエンドを経て 15pin の多芯ケーブル(トランシーバーケーブル、後の IEEE 802.3 規格では AUI ケーブル ※註)でコンピュータ側の 15pin インターフェースに接続する必要がありました。
(※註)イーサネット仕様のトランシーバーケーブルと IEEE 802.3 仕様の AUI ケーブルは一部仕様が異なり、最も異なるのは AUI 仕様ではパケット終了毎に衝突検出信号が強制送出される SQE(Signal Quality Error test) と呼ばれる信号が追加されたことでした。うっかり SQE スイッチを ON のままリピータに接続してネットワークダウンさせちゃった、というのは当時の SE が体験した「よくある失敗」の一つです。
10BASE-2 とイーサネットの普及
この不便を解消するため 1980 年代に開発されたのが「シン・イーサネット(Thin Ethernet)(※註)」と呼ばれるもので、直径 5mm の RG-58A/U 同軸ケーブルを用い、半回転させて止める BNC 型コネクタを使用することによりタップや AUI ケーブルの必要も無くなりました。ケーブル最大長は 500m から 185m と短くなりましたが低価格化と利便性の向上は歓迎され、それまで研究所や大学で使われていたイーサネットが民間企業にも普及してゆく契機となりました。弊社がネットワーク関連製品開発に乗り出したのも丁度この頃です。同じ頃にイーサネットは IEEE 802.3 標準として規格化され、イエローケーブル・イーサネットは「10BASE-5」、シン・イーサネットは「10BASE-2」という規格名でも呼ばれるようになります。
(※註)「シンネット(ThinNet)」や「チーパーネット(CheaperNet)」という呼称もありましたが、あまり多用はされませんでした。
イーサネットの技術的特徴は「CSMA/CD (Carrier Sense Multiple Access / Collision Detection)」という仕様にありました。Multiple Access とは「1本のケーブル上に複数のノードが接続される」バス型アーキテクチャであること、Carrier Sense は「送信前にケーブル使用状況を確認する」分散型制御であること、Collision Detection は「送信中に衝突検出(複数ノードが同時に送信していないかどうか)を行い、衝突検出があれば速やかに送信を中断する」ことを意味しています。この中でも衝突検出はイーサネットの特徴で、当時のネットワークアーキテクチャではツリー型やトークン型が多く、バス型でも衝突検出は行わないものが普通でした。衝突検出はネットワーク効率を高める反面、アナログ部品で構成された衝突検出回路は低価格化・小型化に難があるとされ、「家庭用・小規模オフィス用には適さない」とも言われていました。この隙間を狙って「家庭用向き」と称する安価なネットワークアーキテクチャが幾つか提案されますが、それらは次の 10BASE-T の成功によってほとんど消え去ることになります。
10BASE-T から 100BASE-T へ
10BASE-T は 1980 年代後半、それまでの同軸ケーブルに代えて対撚り線(Twisted Pair)を用いる仕様として登場しました。それまで「1本のケーブルに複数のノードがぶら下がる」構成だったものが、10BASE-T では複数のノードが集線装置「ハブ」に1本づつのケーブルで接続される「スター型」の構成になります。コネクタも金属製の BNC から RJ-45 と呼ばれるプラスチック製のものに変わり、更なる価格低下が可能になりました。今ではイーサネットと言えば RJ-45 ツイストペア線のほうが当たり前で、イエローケーブルとか RG-58A/U 同軸ケーブルなんて 40 代以上の歳寄りしか知らないでしょう。安価で使い勝手の良い 10BASE-T の登場により、イーサネットは企業だけでなく家庭にまで浸透してゆくことになります。
その次の発展は 1990 年代ですが、これが少々混乱します。速度を 10Mbps から 100Mbps に向上する方向性として 100BASE-VG AnyLAN と 100BASE-T という二つの非互換規格が提案され、さらに 100BASE-T にはケーブル仕様が微妙に異なる 100BASE-TX, 100BASE-T2, 100BASE-T4 という3規格が併存(※註)することになりました。これらに加えて起死回生を掛けた IBM の 100Mbps 版 Token Ring と OSI 構想を背景に持つ 155Mbps の Desktop ATM が「我こそは次世代 LAN の標準なり」を名乗って参入、「100Mbps の次世代ネットワーク標準」は一時的な混乱に陥ります。しかし1年そこらで 100BASE-TX のデファクトスタンダード化は明らかになり、(幸いにして)混乱は比較的短期間で収束しました。なお 100BASE-T は「ファーストイーサネット」とも呼ばれます。
(※註) 100BASE-T に複数のケーブル仕様が提案されたのは、10BASE-T 用に敷設された配線(カテゴリ3ケーブル)をそのまま使用する利便を考慮したものでした。結局主流となった 100BASE-TX ではより伝達性能に優れたカテゴリ5ケーブルを使用します。
90 年代中頃から、それまでのハブ(ダムハブ)に代わって「スイッチ」が登場します。ハブとスイッチは見た目も使い方も同じなのですが、ハブはあくまでアナログ的な集線装置であり、ハブに接続された全てのケーブルは電気的には1本のケーブルとして振る舞います。しかしスイッチでは全てのケーブルはアナログ的に切り離されており、受信されデコードされたデジタルデータが改めて送信されて中継されます。これがどういう事かというと、ダムハブではネットワーク上の何処かで誰かが送信すればその送信データは全てのノードに伝達されるのに対し、スイッチでは送信アドレスで指定されるノードに選択的に配送されるだけなので、衝突が減って回線使用効率が良くなる利点があります。またダムハブには伝達遅延を範囲内に収めるため「ハブのカスケード接続は3段(=ハブ4台)まで」という制限がありましたが、スイッチではアナログ的な制約から解放されるため、ほぼ無制限にスイッチを重ねて接続できる利便もあります。
スイッチにはハブの代替品である単純スイッチのほか、「インテリジェントスイッチ」と呼ばれる高機能なものがあります。後者はネットワーク上のループ検出(スパニングツリー検出)や特定アドレスの排除(フィルタリング」)、接続ノードの認証(IEEE 802.1X EAP)、トラフィックの優先順位付け(IEEE 802.1p QoS)、仮想ネットワーク化(IEEE 802.1q VLAN)などの高度な機能を持ち、企業ネットワークにおいては必要不可欠なものになっています。
ギガイーサネットとその先
100Mbps 化の次は 1Gbps 化、通常「ギガイーサネット」でした。今度は複数規格提唱による混乱も無く 1999 年には IEEE 802.3ab 1000BASE-T として規格制定されたものの、10BASE→100BASE の時に比べると製品化はゆっくりしたペースで進みました。100BASE-TX 規格制定から 10 年も経たぬうちに 10BASE only の製品がほぼ絶滅したのに対し、1000BASE 規格制定から 15 年が経った 2014 年現在も 100BASE only の機器は健在です(少しづづ減ってはいますが)。データセンターのような業務システムならともかく、家庭や小規模オフィスでは 100Mbps 回線でも日常的な用途には「ほぼ充分(Good enough)」という理由が大きいでしょう。またネットワークの使用方法がローカルノード間の通信よりもインターネット接続の比重が高くなり、家庭や小規模オフィスでアップリンク回線が 100Mbps を超えることは多くないため、ローカル接続だけ 1Gbps に上げても有難味を感じないという理由もありそうです。
ギガイーサネットでは「ジャンボフレーム」という仕様も取り入れられました。イーサネットは最初の Ethernet 1.0 以来ヘッダ長 14 バイト+データ長 1500 バイトという仕様だったのですが、ジャンボフレームは高速化のためデータ長上限を拡大(※註)したものです。ただし IEEE 802.3 標準には含まれておらず、細部仕様はメーカー依存で異なっています。
(※註)8000~9000 バイトのものが多く、大きなものでは 16K バイトの製品もあります。
ギガイーサネットの次には 10G イーサネット(10GBASE)規格や 100G イーサネット(100GBASE)規格が制定されており、更にその上に 1000G イーサネットも規格検討中です。これらはデータセンターやストレージネットワーク(SAN)の用途が期待されていますが、1G イーサネットの普及も足踏みしている現状では、これらが一般消費者に使われるようになるのはだいぶ先になりそう(ひょっとすると未来永劫ないかも?)です。
イーサネットと IEEE 802.2
ゼロックス社のイーサネットを IEEE で標準化した規格が「IEEE 802.3」ですが、「IEEE 802.2」という言葉を聞いたことがあるかもしれません。IEEE 802.2 というのは LLC(Link Layer Control) と呼ばれ、1980 年代に併存した複数の異なるネットワーク規格(Ethernet, TokenRing, FDDI, ARCNet, OmmniNet, etc...)を共通化するための中間層として規定されたものです。
イーサネットでは既述のように 14 バイトのヘッダ(6 バイトの送信先アドレス、6 バイトの送信元アドレス、2 バイトのパケットタイプ)と 1500 バイトのデータを持ちますが、IEEE 802.2 ではデータの一部を削って LLC ヘッダを埋め込みます。LLC ヘッダは SSAP, DSAP, CTRL の最小3バイト(ただし CTRL は可変長で4バイトになる場合もあり)、更にその後に 3バイトの OUI ID、2バイトのパケットタイプが追加される場合もあり、これを SNAP(Sub Network Access Protocol) ヘッダとも呼びます。
IEEE 802.2 LLC を用いる場合、イーサネットヘッダ部のパケットタイプフィールドは意味が変わり、ここにはパケット長を入れると規定されています。幸い、最も多用される IP 系のタイプ値には標準イーサネットの最大データ長 1500 を超える数字(IPv4:0x800=2048, ARP:0x806=2054, IPv6:0x86dd=34525)が使用されているため、ジャンボフレームを使わないかぎり 802.3 フレームと 802.2 フレームが混信することはありません。
LLC を使えば異なるアーキテクチャのネットワーク間でも互換性を保つことができ、更には信頼レベルやサービスタイプなどの追加情報を相乗りできる...という構想でしたが、はっきり言って「誰も必要としない発明」でした。そもそも前提としていた「複数の異なるネットワークアーキテクチャ」という状況が IEEE 802.3 系(およびその無線版である IEEE 802.11)の一人勝ちによって意義を喪失したという背景もありますが、可変長のビットフィールドしかも最小構成が奇数バイト長のヘッダというのは考え過ぎは休むに似たりというか、OSI の怨霊が取り憑いたというか、メモリ上でのワードアライメントを重視するネットワーク実装技術のトレンドから見て前時代的な代物でもありました。現在では 802.2 が果たす筈だった役目は 802.1 系の拡張規格と、トランスポート層として TCP/IP を用いることで実現されています。
おそらく最も広範囲にかつ長く使用された IEEE 802.2 系のプロトコルはマイクロソフトの「Windows ファイル共有」が使用した NetBEUI でしょう。NetBEUI がわざわざ 802.2 フレームを採用したのは Windows ファイル共有の祖先が IBM の LAN Manager であり、IBM の宿命として自社ネットワーク規格であるトークンリングとデファクトスタンダードであるイーサネットの両方をサポートする必要があったからだと思われますが、NetBEUI はトークンリングが事実上絶滅した後もずいぶん長く(Windows 9x 系の PC が退役するまで)使われました。
まとめ
以上、イーサネットについて思いつくことをつらつらと書き並べてみました。1980 年代と言えばまだ PC 用ハードディスクも普及しておらず、1枚 1.2 MByte の 5 インチ 2HD フロッピーを一生懸命カチャカチャとコピーしていた頃です。イーサネットは 10Mbps だって?!2HD フロッピー1枚が1秒で転送できるじゃないか!と思ったものの、自分がイーサネットを使うようになるのはずっと後の話でした。一応当時の弊社にもワークステーション HP9000/300 がありましたが、繋がる相手がいないのでネットワークは殆ど活用されず、シリアルポート拡張基盤を入れてダム端末5~6台を接続し TSS 使用するという時代錯誤をやっていたのも昔話です。
混迷の時代はとうに去り、今ではイーサネット、特に 100BASE-T は「付いていて当たり前」「動くのが当たり前」のコモディティになった気がします。多少なりともイーサネット関連製品開発に携わってきたエンジニアとしては誇るべきことでしょう。ただここ数年はノート PC の薄型化、更にスマートフォン・タブレットの普及によって必ずしも「付いていて当たり前」ではなくなり、その代わりに WiFi が「当たり前」になりつつあるように感じます。WiFi を動かすバックボーンとしてのイーサネットの地位が揺らぐことは当分ないでしょうが、イーサネットは一般消費者が直接手にする機会の少ない、裏方の技術になりつつあるのかも知れません。