Wireless・のおと
サイレックスの無線LAN 開発者が語る、無線技術についてや製品開発の秘話、技術者向け情報、新しく興味深い話題、サイレックスが提供するサービスや現状などの話題などを配信していきます。
UWB とは何だったのか(2)
米国 FCC が 2002 年 2 月 14 日に発表した法改正を受け、「革新的な新通信技術 UWB」「数百 Mbps~数ギガ bps の高速通信」「壁を超えて通信できる?」「雑音を利用して通信」「もはや周波数割り当てという常識は過去ものに」など、誤解や拡大解釈を含んだニュースが華々しく報道されることになりました。半導体業界ではこの新技術を実用化すべく次々に新企業が名乗りを上げ、標準化に向けての動きが始まることになります。今回はこの標準化と製品化にまつわる騒動と、その終焉について語ってみたいと思います。
インパルス・ラジオの(早すぎる)終焉
前回は UWB≒インパルス・ラジオ...鋭いピークを持つパルス波形を用い、周波数(F-Domain)ではなく時間軸(T-Domain)を用いて情報伝達する方式...として解説しました。実際、早期に名乗りを上げた UWB チップメーカーは「Time Domain」「Staccato Communications」「Pulse~LINK」など、インパルス技術を象徴するキーワードを社名に冠したところが少なくありませんでした。
ところが FCC Part 15 の発表後、インパルス・ラジオは急速に表舞台から消えてゆくことになります。前回も述べたように、純粋なインパルス方式では通信速度の向上が難しいことが理由の一つでした。例えば 1Gbps の情報を伝達しようと思えば 10 億パルス/秒の時間軸情報を処理する必要がありますが、それを DSP で処理しようとすると数ギガ命令/秒の処理能力が必要となり、まっとうな方法では商品としてのコストパフォーマンスを実現できません。全ての情報を時間軸で扱うインパルス・ラジオは数学的に単純で美しいモデルなのですが、それを使って高速通信を実現するのは、実際には必ずしも単純でも簡単でもなかったのです。
もう一つの理由は、FCC の規定が周波数範囲を「3.1~10.6GHz」に限定したことでした。この周波数範囲は従来の無線通信規格に比べれば遥かに広いものの、インパルスが想定する「野放図に広い」スペクトラムに比べれば狭いものです。しかもこの周波数帯は 802.11a などで実用化済みの 5GHz 帯を挟んでおり、ここは避けて使うべきであろうとの判断がなされ、実用システムとしての UWB 帯域は 3.1~4.9GHz の「ローバンド」と 5.8~10.6GHz の「ハイバンド」に分割されてしまうことになったのです。これは野放図にスペクトラムを占有することが前提のインパルス・ラジオにとっては致命的でした。
先行する DSSS と MB-OFDM の台頭
かくして、「インパルス・ラジオ」から始まった UWB は実用化に向けてインパルス方式から離れ、各社各様の方式が提唱されてゆくことになります。なかでも動きが早かったのは Xtreme Spectrum 社で、FCC Part 15 発表から半年も経たない 2002 年 7 月 には既に「製品版に限りなく近い」という UWB チップセット「Trinity」を用いて 100Mbps 以上の通信ができることを実証していました。このチップはインパルスではなく DSSS(Direct Sequence Spectrum Spreading; 直接拡散方式) という変調方式を採用しています(※註)。
(※註)DS-UWB を「インパルス方式」と表現した資料もあります。確かに伝送される波形はインパルスに近い信号ですし、FFT を行わず疑似乱数系列とビットシフタで同期追跡する動作原理は T-Domain に情報を乗せているとも理解できますが、ここでは POOK や PPM などの「純インパルス方式」とは異なる方式と定義しました。
DSSS は周波数利用効率があまり高くない欠点はあるものの、動作原理が単純で回路規模が簡単、チャネル衝突が起きにくい(CDMA)、Rake 回路でマルチパス対策できるなど優れた特長が知られています。初代(b/g の付かない) 802.11 や携帯電話の変調方式として充分な実績を持っていたこともあって、UWB に用いるには適切な方法だと多くの専門家に認められていました。何より、多くの UWB 提案方式が Mathlab シミュレータやバラック組みの試作機どまりだったこの時期に、実際に動くシリコン・チップを持っていたというのは圧倒的な強みでした。Xtreme Spectrum 社はこの強みをバックに、初期の UWB 標準化において指導的な立場に立ってゆくことになります。
ところが 2003 年 6 月、半導体業界の巨人 intel を筆頭にチップメーカー十数社が集まり、Xtreme Spectrum 社に対抗して Multi-Band OFDM Alliance (MBOA) という UWB 標準化団体が結成されたのです。MBOA の提案は 802.11g や 802.11a で採用されている OFDM (Orthgonal Frequency Division Multiplexing; 直交多重変調) 方式を拡張した MB-OFDM (Multi-Band OFDM) 方式というものでした。
OFDM 方式は周波数利用効率が良いため高速通信に向き、またスペクトラム(占有周波数帯域)が矩形になるため、国ごとに異なる周波数規制にも対応しやすいという特長があります。特に後者の特長については、米国 FCC 以外の UWB 規定がどうなるか不明確な状況において、500MHz 幅を1チャネルとして地域毎に ON/OFF することで柔軟に対応できると主張されていました。これに比べると DSSS 方式はスペクトラムがガウス(近似)分布の曲線となるため、帯域幅を広げたり狭めたり「穴」を開けたりするのは不可能ではないにせよ難しく、これが標準化における一つの争点となります。
UWB 標準化への船出:IEEE802.15.3a
各社各様の独自方式乱立になりそうな雰囲気を察し、2003 年 10 月に IEEE で UWB 標準化委員会の発足が提唱されました。UWB 標準化するにあたっては、何か既存の無線通信規格(WiFi や Bluetooth)の高速版という扱いにするのか、それとも全く新しい通信フレームワークを規定するのかという議論がありましたが、結局 WiFi や Bluetooth ではなく、2003 年 8 月に制定されたばかりの新規格「IEEE 802.15.3 WPAN (Wireless Personal Area Network)」の高速版、「IEEE802.15.3a」として位置づけられました。この名前と動向はその後数年間業界を騒がせることになりますが、そもそも「a」の付かない 802.15.3 とは何であったのか少し寄り道してみましょう。
IEEE802.15.3 は 2.4GHz 帯で OFDM 変調を用い、最大 54Mbps の通信速度を発揮するピア・トゥ・ピア型の無線ネットワーク・アーキテクチャでした。WiFi のようなアクセスポイントは無く、しかし AdHoc モードのように完全な分散型でもなく、ノード同士が動的にネゴシエーションしてマスターを決めるという独自のピコネット方式を採用しています。何だか WiFi と Bluetooth の良い所取りをしたようでもあり、意地悪な言い方をすればどっちつかずのコウモリみたいな仕様でもありました。果たして IEEE802.15.3 は WiFi と Bluetooth の隙間に市場の足がかりを築くことができず、対応製品が一つも出ないまま技術史の闇へと消えてゆくことになるのですが、2003 年時点では「インターネットに次ぐ第二のインフラを支える技術」になるかも知れないとまで期待されていたのです。そこには当時、MANET(Mobile Ad hoc NETwork) に代表される無線メッシュネットワークが盛り上がっていた背景もありました。
かくして、UWB 標準化委員会は実績なき IEEE802.15.3 を頼りに波乱の海へと船出しました。発足当初は 20 を超える提案があったと伝えられますが、動作実績で先行する Xtreme Spectrum の DSSS 方式と、巨人 Intel を筆頭に大手メーカーが名を連ねる MBOA の MB-OFDM 方式が有力候補であることは明らかでした。どちらに決まるにせよ、IEEE802.15.3a 標準が固まって製品が出てくるのは時間の問題...半年~一年くらいと思われていましたが、これが IEEE の歴史に汚点を残す騒動となるのです。
Throwing Stones
802.15.3a 発足から間もない 2003 年 11 月、半導体大手の Freescale 社が Xtreme Spectrum 社の買収を発表しました。もともと無線デバイスの巨人 Motorola から半導体専業として分離独立した同社が無線チップ企業を買収したということで相当な騒ぎになりましたが、これによって DS-UWB の製品化が更に加速されるだろうと見る向きもありました。
しかし MBOA 陣営も黙っていません。年が明けた 2004 年 2 月、Intel 社は Wireless USB Promoter Group を発足し、480Mbps を誇る MB-OFDM UWB を用いて USB を無線化するとぶち上げたのです。市場実績皆無の 802.15.3a に対し圧倒的な市場実績を持つ USB の無線化は巨大市場の可能性をひっさげており、MBOA は Wireless USB を UWB 普及の切り札として位置づけます。一方、Freescale はほぼ同時期に DS-UWB 普及を図る標準化団体 UWB Forum を発足、IEEE 標準化作業と並行して「デファクト」標準を確立しようとする動きが進む事態になってゆきます。
両陣営の対立が鮮明化してゆく一方、IEEE802.15.3a 標準化作業のほうは 20 以上もあった提案を段階的に削減、当初の予想どおり MB-OFDM と DS-UWB の2種類に絞り込まれますが、その後は作業は停滞します。IEEE の標準化作業では、会合参加者の投票で 75% 以上の合意を得ることによって提案が承認され次のステップに進むのですが、MB-OFDM と DS-UWB のどちらを 802.15.3a 標準にするかの最終決定は投票を行うたびに 75% を割って選考作業に戻ることを延々と繰り返しました。IEEE の会合は(公平性を期すために)世界各地を転々としながら開催されたのですが、「最終選考のときだけ参加者が増える」とか「不利になった側が総動員で出席し投票を増やして合意を崩している」とか MB-OFDM 側も DS-UWB 側も互いを非難しあい、泥沼化の様相を呈してきます。
年内標準化が期待されていた 2004 年が終わり、2005 年になっても事態解決の目処は立たず、両陣営とも IEEE 外でのデファクト活動を活発化させてゆきます。MB-OFDM 陣営は 2005 年 3 月に WiMedia Alliance との合併を発表、USB だけでなく AV 機器の無線接続も MB-OFDM UWB に取り込むことを発表しますが、Freescale 社は 2005 年 6 月に中国の Hair 社と共同で「DS-UWB を搭載した無線TV」のデモを披露、来年にも製品化とぶち上げて実用に近いところをアピールする、といった具合に。
そして 2006 年 1 月、ハワイで開催された IEEE802.15.3a 会合では「標準化活動の断念と当委員会の解散」が提案され、皮肉なことに 802.15.3a はじまって以来の圧倒的賛成多数で採択されました。丸2年以上を費やし、数知れぬ会合を重ねて合意に至らなかった IEEE802.15.3a 標準化作業の茶番劇はかくして幕を閉じたのです。
Aftermath
802.15.3a 標準化の崩壊を予測していたかのように、Freescale 社は 2006 年 1 月 CES 会場にて Icron 社、Belkin 社と共同で「Cable-Free USB Initiative」を発足、Intel 主導で進められている MB-OFDM Wireless USB とは別に DS-UWB を用いた USB の無線化を実現し、製品発売予定は 5 月という発表を行いました。私はこのとき、まさに CES 会場で UWB 画像伝送装置(今の silex MVDS の前身)のデモ設営作業を行っていたのですが、全くの寝耳に水で唖然としたことを覚えています。「Cable-Free USB」という名称はあまりに露骨に「Wireless USB」を意識したものでしたし、発売 5 月というのも無茶な話だと思いました。
この頃、Bluetooth SIG は EDR に次ぐ次期高速化の手法として UWB を検討していましたが、2006 年 3 月には「Bluetooth 3.0 に MB-OFDM UWB を採用」と発表され、USB、Bluetooth という2大標準規格の支持を得た MB-OFDM の立場はいよいよ確固たるものになったと報道されました。MB-OFDM の躍進を前に、UWB Forum の立場はいよいよぐらつき始めます。
そして僅か一ヶ月後の 2006 年 4 月、Freescale 社は突如として UWB からの撤退と UWB Forum からの脱退を宣言、業界に更なる衝撃が走りました。既存製品(Freesscale XS110 UWB チップセット...かつての Xtreme Trinity)の供給は続けるという話でしたが、ただでさえジリ貧だった DS-UWB が勢いを失うことは決定的でした。事実、求心力を失った UWB Forum はこの後自然消滅に近い形で解散してしまいます。
当然ながらMB-OFDM 陣営はこのニュースを歓迎、これによって Wireless USB の製品化は加速されるであろうと発表しました。業界紙も長引いたドタバタと相次ぐドンデン返しに呆れながらも("UWB Soap Opera"...安っぽい昼ドラマ、とさえ形容された)、これで UWB のデファクトスタンダードは決まったようなものだとし、早ければ年内にも「業界標準」の Wireless USB 製品が発売されるであろうと報じました。
「早ければ年内」...UWB に関して、一体何度この言葉を聞いたことでしょうか。2006 年が暮れ、2007 年になっても「標準認定(Certified)」Wireless USB 製品は「発売間近」というニュースばかりで、一向にその姿を市場に見せませんでした。「Certified Wireless USB」のロゴを取得した最初の製品発売は、何と 2007 年 9 月にまで持ち越すことになるのです。FCC Part 15 の発表から実に5年半の月日が経過していました。
やっと発売された Wireless USB 製品はさっそく PC 業界誌のライター達によって購入評価され、そのレポートが次々に WEB 上に発表されてゆきました。いわく「遅い」「つながらない」「不安定」「価格に見合わない」「使い物にならない」...その実力は、1m 以内の至近距離で電波状況が良いときでも実測 20Mbps 程度、距離を離すとすぐに接続不安定になるなど散々なものでした。前例のない新技術、しかも超微弱電力・超広帯域の無線技術を採用した第一世代の製品に様々な困難があったであろうことは技術者として理解はしますが、「壁を通して 1Gbps で通信できる」と(誤解を交えて)報道された「革命的新技術」を5年も待たされ続けた消費者にとって、期待と現実のギャップは大きすぎました。
昔から「悪評は一日で千里を走る」と言われますが、ネット時代においてはますますその傾向が強くなっています。初期市場においてユーザーの(大きすぎる)期待を裏切った UWB の悪評は風のように広まり、「Wireless USB は使い物にならない」「UWB は期待外れ」という先入観が強く印象付けられる結果となりました。
大きすぎた最初の期待、2年にわたる不毛な標準化論争、それが終わってから更に2年弱もかかった製品開発...既に流行語として鮮度の落ちていた UWB に、初期市場での失敗はトドメを刺すものでした。UWB という言葉は IT ニュースの紙面から去り、量販店の店頭からは忘れ去られ、チップメーカーは倒産・買収・合併を重ねてゆくことになります。2009 年には WiMedia Alliance も活動を停止、MB-OFDM UWB に関する技術資産を Bluetooth SIG と USB Implementers Forum (USB-IF) に移管すると発表します。しかし Bluetooth SIG は既に UWB に見切りを付け、新たに 802.11n WiFi MAC を横取りして使う「Bluetooth 3.0+HS」を発表していましたから、今更 UWB の権利を受け取っても正直いって迷惑だったでしょう。USB-IF も積極的な UWB のプロモーション活動は行っていません。2010 年には Wireless USB 1.1 の仕様が公開されていますが、私の知る限り 1.1 仕様に対応した製品はリリースされていないようです。
But life goes on...
かつて世間を騒がせた MB-OFDM UWB と Wireless USB はこのような状況になってしまいましたが、しかし UWB という技術の可能性そのものが消滅したわけではりません。最近では、一度は見捨てられたインパルス UWB の可能性が再び注目されつつあります。2009 年 4 月、アイルランドの Decawave 社はインパルス UWB を用いた Zigbee の発展型(IEEE802.15.4a)対応のチップセットを発表、最大 27Mbps のデータ転送レートを持ち、インパルス方式の特長である高い測距精度(±10cm)を実現するとしています。また 2011 年の暮れにはベルギーの IMEC 社が 6~10GHz の高域帯を使った純インパルス UWB の研究成果を発表、6mW の消費電力で 27Mbps のデータ転送を実現でき、携帯音楽プレイヤーなどへの応用を期待すると報道されています。
一度は失敗の烙印を押された UWB は、新たな翼を得て復活するでしょうか?個人的には、そうなって欲しいと思います。「壁を通して 1Gbps」という、実体もなければ実際には用途もなかったお伽話よりも、低消費電力・高い時間/距離測定精度・妨害・盗聴に対する耐性などインパルス方式の特性を活かした技術と、それを応用した製品の登場を期待したいところです。
次回は UWB 失敗の物語について、技術的・マーケティング的な検証を行ってみたいと思います。
前回は UWB≒インパルス・ラジオ...鋭いピークを持つパルス波形を用い、周波数(F-Domain)ではなく時間軸(T-Domain)を用いて情報伝達する方式...として解説しました。実際、早期に名乗りを上げた UWB チップメーカーは「Time Domain」「Staccato Communications」「Pulse~LINK」など、インパルス技術を象徴するキーワードを社名に冠したところが少なくありませんでした。
ところが FCC Part 15 の発表後、インパルス・ラジオは急速に表舞台から消えてゆくことになります。前回も述べたように、純粋なインパルス方式では通信速度の向上が難しいことが理由の一つでした。例えば 1Gbps の情報を伝達しようと思えば 10 億パルス/秒の時間軸情報を処理する必要がありますが、それを DSP で処理しようとすると数ギガ命令/秒の処理能力が必要となり、まっとうな方法では商品としてのコストパフォーマンスを実現できません。全ての情報を時間軸で扱うインパルス・ラジオは数学的に単純で美しいモデルなのですが、それを使って高速通信を実現するのは、実際には必ずしも単純でも簡単でもなかったのです。
もう一つの理由は、FCC の規定が周波数範囲を「3.1~10.6GHz」に限定したことでした。この周波数範囲は従来の無線通信規格に比べれば遥かに広いものの、インパルスが想定する「野放図に広い」スペクトラムに比べれば狭いものです。しかもこの周波数帯は 802.11a などで実用化済みの 5GHz 帯を挟んでおり、ここは避けて使うべきであろうとの判断がなされ、実用システムとしての UWB 帯域は 3.1~4.9GHz の「ローバンド」と 5.8~10.6GHz の「ハイバンド」に分割されてしまうことになったのです。これは野放図にスペクトラムを占有することが前提のインパルス・ラジオにとっては致命的でした。
先行する DSSS と MB-OFDM の台頭
かくして、「インパルス・ラジオ」から始まった UWB は実用化に向けてインパルス方式から離れ、各社各様の方式が提唱されてゆくことになります。なかでも動きが早かったのは Xtreme Spectrum 社で、FCC Part 15 発表から半年も経たない 2002 年 7 月 には既に「製品版に限りなく近い」という UWB チップセット「Trinity」を用いて 100Mbps 以上の通信ができることを実証していました。このチップはインパルスではなく DSSS(Direct Sequence Spectrum Spreading; 直接拡散方式) という変調方式を採用しています(※註)。
(※註)DS-UWB を「インパルス方式」と表現した資料もあります。確かに伝送される波形はインパルスに近い信号ですし、FFT を行わず疑似乱数系列とビットシフタで同期追跡する動作原理は T-Domain に情報を乗せているとも理解できますが、ここでは POOK や PPM などの「純インパルス方式」とは異なる方式と定義しました。
DSSS は周波数利用効率があまり高くない欠点はあるものの、動作原理が単純で回路規模が簡単、チャネル衝突が起きにくい(CDMA)、Rake 回路でマルチパス対策できるなど優れた特長が知られています。初代(b/g の付かない) 802.11 や携帯電話の変調方式として充分な実績を持っていたこともあって、UWB に用いるには適切な方法だと多くの専門家に認められていました。何より、多くの UWB 提案方式が Mathlab シミュレータやバラック組みの試作機どまりだったこの時期に、実際に動くシリコン・チップを持っていたというのは圧倒的な強みでした。Xtreme Spectrum 社はこの強みをバックに、初期の UWB 標準化において指導的な立場に立ってゆくことになります。
ところが 2003 年 6 月、半導体業界の巨人 intel を筆頭にチップメーカー十数社が集まり、Xtreme Spectrum 社に対抗して Multi-Band OFDM Alliance (MBOA) という UWB 標準化団体が結成されたのです。MBOA の提案は 802.11g や 802.11a で採用されている OFDM (Orthgonal Frequency Division Multiplexing; 直交多重変調) 方式を拡張した MB-OFDM (Multi-Band OFDM) 方式というものでした。
OFDM 方式は周波数利用効率が良いため高速通信に向き、またスペクトラム(占有周波数帯域)が矩形になるため、国ごとに異なる周波数規制にも対応しやすいという特長があります。特に後者の特長については、米国 FCC 以外の UWB 規定がどうなるか不明確な状況において、500MHz 幅を1チャネルとして地域毎に ON/OFF することで柔軟に対応できると主張されていました。これに比べると DSSS 方式はスペクトラムがガウス(近似)分布の曲線となるため、帯域幅を広げたり狭めたり「穴」を開けたりするのは不可能ではないにせよ難しく、これが標準化における一つの争点となります。
UWB 標準化への船出:IEEE802.15.3a
各社各様の独自方式乱立になりそうな雰囲気を察し、2003 年 10 月に IEEE で UWB 標準化委員会の発足が提唱されました。UWB 標準化するにあたっては、何か既存の無線通信規格(WiFi や Bluetooth)の高速版という扱いにするのか、それとも全く新しい通信フレームワークを規定するのかという議論がありましたが、結局 WiFi や Bluetooth ではなく、2003 年 8 月に制定されたばかりの新規格「IEEE 802.15.3 WPAN (Wireless Personal Area Network)」の高速版、「IEEE802.15.3a」として位置づけられました。この名前と動向はその後数年間業界を騒がせることになりますが、そもそも「a」の付かない 802.15.3 とは何であったのか少し寄り道してみましょう。
IEEE802.15.3 は 2.4GHz 帯で OFDM 変調を用い、最大 54Mbps の通信速度を発揮するピア・トゥ・ピア型の無線ネットワーク・アーキテクチャでした。WiFi のようなアクセスポイントは無く、しかし AdHoc モードのように完全な分散型でもなく、ノード同士が動的にネゴシエーションしてマスターを決めるという独自のピコネット方式を採用しています。何だか WiFi と Bluetooth の良い所取りをしたようでもあり、意地悪な言い方をすればどっちつかずのコウモリみたいな仕様でもありました。果たして IEEE802.15.3 は WiFi と Bluetooth の隙間に市場の足がかりを築くことができず、対応製品が一つも出ないまま技術史の闇へと消えてゆくことになるのですが、2003 年時点では「インターネットに次ぐ第二のインフラを支える技術」になるかも知れないとまで期待されていたのです。そこには当時、MANET(Mobile Ad hoc NETwork) に代表される無線メッシュネットワークが盛り上がっていた背景もありました。
かくして、UWB 標準化委員会は実績なき IEEE802.15.3 を頼りに波乱の海へと船出しました。発足当初は 20 を超える提案があったと伝えられますが、動作実績で先行する Xtreme Spectrum の DSSS 方式と、巨人 Intel を筆頭に大手メーカーが名を連ねる MBOA の MB-OFDM 方式が有力候補であることは明らかでした。どちらに決まるにせよ、IEEE802.15.3a 標準が固まって製品が出てくるのは時間の問題...半年~一年くらいと思われていましたが、これが IEEE の歴史に汚点を残す騒動となるのです。
Throwing Stones
802.15.3a 発足から間もない 2003 年 11 月、半導体大手の Freescale 社が Xtreme Spectrum 社の買収を発表しました。もともと無線デバイスの巨人 Motorola から半導体専業として分離独立した同社が無線チップ企業を買収したということで相当な騒ぎになりましたが、これによって DS-UWB の製品化が更に加速されるだろうと見る向きもありました。
しかし MBOA 陣営も黙っていません。年が明けた 2004 年 2 月、Intel 社は Wireless USB Promoter Group を発足し、480Mbps を誇る MB-OFDM UWB を用いて USB を無線化するとぶち上げたのです。市場実績皆無の 802.15.3a に対し圧倒的な市場実績を持つ USB の無線化は巨大市場の可能性をひっさげており、MBOA は Wireless USB を UWB 普及の切り札として位置づけます。一方、Freescale はほぼ同時期に DS-UWB 普及を図る標準化団体 UWB Forum を発足、IEEE 標準化作業と並行して「デファクト」標準を確立しようとする動きが進む事態になってゆきます。
両陣営の対立が鮮明化してゆく一方、IEEE802.15.3a 標準化作業のほうは 20 以上もあった提案を段階的に削減、当初の予想どおり MB-OFDM と DS-UWB の2種類に絞り込まれますが、その後は作業は停滞します。IEEE の標準化作業では、会合参加者の投票で 75% 以上の合意を得ることによって提案が承認され次のステップに進むのですが、MB-OFDM と DS-UWB のどちらを 802.15.3a 標準にするかの最終決定は投票を行うたびに 75% を割って選考作業に戻ることを延々と繰り返しました。IEEE の会合は(公平性を期すために)世界各地を転々としながら開催されたのですが、「最終選考のときだけ参加者が増える」とか「不利になった側が総動員で出席し投票を増やして合意を崩している」とか MB-OFDM 側も DS-UWB 側も互いを非難しあい、泥沼化の様相を呈してきます。
年内標準化が期待されていた 2004 年が終わり、2005 年になっても事態解決の目処は立たず、両陣営とも IEEE 外でのデファクト活動を活発化させてゆきます。MB-OFDM 陣営は 2005 年 3 月に WiMedia Alliance との合併を発表、USB だけでなく AV 機器の無線接続も MB-OFDM UWB に取り込むことを発表しますが、Freescale 社は 2005 年 6 月に中国の Hair 社と共同で「DS-UWB を搭載した無線TV」のデモを披露、来年にも製品化とぶち上げて実用に近いところをアピールする、といった具合に。
そして 2006 年 1 月、ハワイで開催された IEEE802.15.3a 会合では「標準化活動の断念と当委員会の解散」が提案され、皮肉なことに 802.15.3a はじまって以来の圧倒的賛成多数で採択されました。丸2年以上を費やし、数知れぬ会合を重ねて合意に至らなかった IEEE802.15.3a 標準化作業の茶番劇はかくして幕を閉じたのです。
Aftermath
802.15.3a 標準化の崩壊を予測していたかのように、Freescale 社は 2006 年 1 月 CES 会場にて Icron 社、Belkin 社と共同で「Cable-Free USB Initiative」を発足、Intel 主導で進められている MB-OFDM Wireless USB とは別に DS-UWB を用いた USB の無線化を実現し、製品発売予定は 5 月という発表を行いました。私はこのとき、まさに CES 会場で UWB 画像伝送装置(今の silex MVDS の前身)のデモ設営作業を行っていたのですが、全くの寝耳に水で唖然としたことを覚えています。「Cable-Free USB」という名称はあまりに露骨に「Wireless USB」を意識したものでしたし、発売 5 月というのも無茶な話だと思いました。
この頃、Bluetooth SIG は EDR に次ぐ次期高速化の手法として UWB を検討していましたが、2006 年 3 月には「Bluetooth 3.0 に MB-OFDM UWB を採用」と発表され、USB、Bluetooth という2大標準規格の支持を得た MB-OFDM の立場はいよいよ確固たるものになったと報道されました。MB-OFDM の躍進を前に、UWB Forum の立場はいよいよぐらつき始めます。

当然ながらMB-OFDM 陣営はこのニュースを歓迎、これによって Wireless USB の製品化は加速されるであろうと発表しました。業界紙も長引いたドタバタと相次ぐドンデン返しに呆れながらも("UWB Soap Opera"...安っぽい昼ドラマ、とさえ形容された)、これで UWB のデファクトスタンダードは決まったようなものだとし、早ければ年内にも「業界標準」の Wireless USB 製品が発売されるであろうと報じました。
「早ければ年内」...UWB に関して、一体何度この言葉を聞いたことでしょうか。2006 年が暮れ、2007 年になっても「標準認定(Certified)」Wireless USB 製品は「発売間近」というニュースばかりで、一向にその姿を市場に見せませんでした。「Certified Wireless USB」のロゴを取得した最初の製品発売は、何と 2007 年 9 月にまで持ち越すことになるのです。FCC Part 15 の発表から実に5年半の月日が経過していました。
やっと発売された Wireless USB 製品はさっそく PC 業界誌のライター達によって購入評価され、そのレポートが次々に WEB 上に発表されてゆきました。いわく「遅い」「つながらない」「不安定」「価格に見合わない」「使い物にならない」...その実力は、1m 以内の至近距離で電波状況が良いときでも実測 20Mbps 程度、距離を離すとすぐに接続不安定になるなど散々なものでした。前例のない新技術、しかも超微弱電力・超広帯域の無線技術を採用した第一世代の製品に様々な困難があったであろうことは技術者として理解はしますが、「壁を通して 1Gbps で通信できる」と(誤解を交えて)報道された「革命的新技術」を5年も待たされ続けた消費者にとって、期待と現実のギャップは大きすぎました。
昔から「悪評は一日で千里を走る」と言われますが、ネット時代においてはますますその傾向が強くなっています。初期市場においてユーザーの(大きすぎる)期待を裏切った UWB の悪評は風のように広まり、「Wireless USB は使い物にならない」「UWB は期待外れ」という先入観が強く印象付けられる結果となりました。
大きすぎた最初の期待、2年にわたる不毛な標準化論争、それが終わってから更に2年弱もかかった製品開発...既に流行語として鮮度の落ちていた UWB に、初期市場での失敗はトドメを刺すものでした。UWB という言葉は IT ニュースの紙面から去り、量販店の店頭からは忘れ去られ、チップメーカーは倒産・買収・合併を重ねてゆくことになります。2009 年には WiMedia Alliance も活動を停止、MB-OFDM UWB に関する技術資産を Bluetooth SIG と USB Implementers Forum (USB-IF) に移管すると発表します。しかし Bluetooth SIG は既に UWB に見切りを付け、新たに 802.11n WiFi MAC を横取りして使う「Bluetooth 3.0+HS」を発表していましたから、今更 UWB の権利を受け取っても正直いって迷惑だったでしょう。USB-IF も積極的な UWB のプロモーション活動は行っていません。2010 年には Wireless USB 1.1 の仕様が公開されていますが、私の知る限り 1.1 仕様に対応した製品はリリースされていないようです。
But life goes on...
かつて世間を騒がせた MB-OFDM UWB と Wireless USB はこのような状況になってしまいましたが、しかし UWB という技術の可能性そのものが消滅したわけではりません。最近では、一度は見捨てられたインパルス UWB の可能性が再び注目されつつあります。2009 年 4 月、アイルランドの Decawave 社はインパルス UWB を用いた Zigbee の発展型(IEEE802.15.4a)対応のチップセットを発表、最大 27Mbps のデータ転送レートを持ち、インパルス方式の特長である高い測距精度(±10cm)を実現するとしています。また 2011 年の暮れにはベルギーの IMEC 社が 6~10GHz の高域帯を使った純インパルス UWB の研究成果を発表、6mW の消費電力で 27Mbps のデータ転送を実現でき、携帯音楽プレイヤーなどへの応用を期待すると報道されています。
一度は失敗の烙印を押された UWB は、新たな翼を得て復活するでしょうか?個人的には、そうなって欲しいと思います。「壁を通して 1Gbps」という、実体もなければ実際には用途もなかったお伽話よりも、低消費電力・高い時間/距離測定精度・妨害・盗聴に対する耐性などインパルス方式の特性を活かした技術と、それを応用した製品の登場を期待したいところです。
次回は UWB 失敗の物語について、技術的・マーケティング的な検証を行ってみたいと思います。