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UWB とは何だったのか(1)

2012年5月28日 13:30
YS
かつて「UWB(Ultra Wide Band, 超広帯域無線通信)」というキーワードが業界を騒がせたことを覚えておられるでしょうか。壁を通して通信できるとか、有線接続より速い通信ができるとか、雑音を使って通信するとか、もはや周波数の規制を受けないのだとかの非常識な、しかし本当だとすると革命的な噂が飛び交い、そして何やら規格制定に関するイザコザが報じられ、やっと規格が固まった!待ちに待った「Certified」UWB 製品が出るよ!...というニュースのあと、何故か話を聞かなくなりました。
UWB とは一体何だったのか?一体なぜあんな夢のような噂が流れ、なぜ規格制定でゴタゴタし、なぜ製品が出たと思った頃に消えて行ったのか?今回は幻に終わった夢の無線通信方式、UWB について数回にわけてお送りしたいと思います。
「壁を通して 1Gbps で通信できるって?!」
私が UWB に関して最初に聞いたニュースはたしか 2003 年頃、日本の IT 系 WEB サイトで紹介された「アメリカで新しい通信技術が開発されている」というニュースでした。もはや詳細は覚えていませんが、それは「きわめて近距離に限定」したうえで、「壁を通して」「1Gbps の速度で通信できる」無線通信技術だ、というのです。そして直観的に、「そんなのはあり得ない」と思ったことは今でもはっきり覚えています。こういったニュースの何が正しくて何が誤解だったのか、今回はその辺を少し掘り下げてみます。


さて、UWB とは名前のとおり「超広帯域(無線通信技術)」です。定義が「超高速」ではないことに注意してください。ここで言う「帯域」とは占有帯域のことで、802.11g 無線 LAN であれば通常 20MHz、802.11n 高速モード(HT40) では 40MHz の帯域を占有しますが、UWB は野放図に広い...少なくとも 500MHz、将来的には数 GHz にわたる帯域を使うことで「画期的な超高速通信」を実現することが見込まれていました。しかし、なぜ占有周波数帯域が増えたら通信速度が上がる(伝達情報量が増える)のか?これを理解するためには「時間軸」と「周波数軸」の関係と、情報量と周波数についての関係を軽く理解してもらわなければなりません。


T-Domain と F-Domain
まず、ある周波数に電波がずっと出続けている状態を考えてください。このとき伝達される情報量はゼロです(※註)。これを時間軸で書くと下図左のようになりますし、周波数軸で書くと下図右のようになります。波形が理想的な正弦波であれば、周波数軸に占める幅は無限小になります。

(註:)なぜ連続波の情報量が「1(=「波がある」という情報)」ではなく「ゼロ」なのかは、そもそも「情報とは何なのか」という情報工学の根源に関わる面白い問題です。これも機会があれば取り上げましょう。

uwb1.jpg次に、「電波が出たり出なかったりする」という状態を考えてみます。このように電波を切ったり入れたりすると、伝送波は「理想的な正弦波」ではなく「乱れた波形」になり、その「乱れ具合」が周波数軸の広がりとして現れるようになります。

uwb2.jpg電波の ON/OFF をもっと高速にすると下図のようになります。波形はますます理想的な正弦波からかけ離れ、そして周波数軸に占める幅はますます広がってゆきます。

uwb3.jpgこのように、搬送波により多くの情報を乗せる(変調をかける)と波形はより大きく乱れ、情報量の多い信号ほど雑音に似てくる結果になります。では、この波形の ON/OFF を究極に高速化するとどうなるか?すなわち、ON/OFF の間隔が搬送波の周期より短くなるとどうなるか、というのが UWB の根本的発想である「インパルス・ラジオ」の原理です。

uwb4.jpgインパルス・ラジオではもはや伝達波形は「波」のかたちをしておらず、鋭いスパイク状の波形(インパルス)が無秩序な周期に並んでいるだけになります。これは信号として見ると雑音近く、無節操に広がった占有周波数を取ることになりますが、これはインパルスが出る一瞬だけしか占有しないことにも注意してください。
情報量ゼロの連続波は時間軸(T-Domain)上ではずーっと存在し続けるのに、周波数軸(F-Domain)では無限小の幅しか占めません。一方、大きな情報量を持つインパルスは時間軸では一瞬しか存在しないのに、周波数軸では大きな幅を占有するのです。この時間軸と周波数軸の関係はフーリエ展開だとかサンプリング理論とも深い関わりがあり、情報工学の基礎をなす基本原理ですが詳細については割愛します。とりあえず「短いパルスは広い周波数帯を占有する」ことが UWB の出発点であるということだけ理解しておいてください。

さて、情報量の伝達限界は「シャノンの公式(shannon's equation)」という数式で表わされます。シャノン限界は熱力学的エンジン効率におけるカルノー限界のようなもので、工学的にどんな工夫を重ねようともこの数式で示された以上の情報を伝達することは原理的にできない、という物理学的な限界を示すものです。

shanon.jpgシャノンの公式は、信号強度(S/N比)を上げても伝達情報量は2の対数としてしか増加しませんが、信号帯域に対しては正比例して伝達情報量が増加することを示しています。すなわち占有周波数帯域の大きな UWB を用いれば「画期的な」高速通信が実現できる可能性を示していますが、いくら帯域が大きくてもS/N比が無視される訳ではないことにも注意する必要があります。冒頭に記した「そんな事ができる筈がない」という直観は、「壁を通して通信(低い S/N 比)」と「1Gbps (超高速の情報伝送)」が両立する、という記事に対して感じたものだったのでした。


誤解の原点
種明かしをすると、問題の記事は「UWB で壁を通す」という話と「UWB で超高速通信」という2つの異なる話をごちゃ混ぜにしていたのです。UWB (≒インパルス・ラジオ)はもともと軍用のレーダー技術として開発されたもので、特に障害物を貫く能力に優れていたため地下探査用レーダーや壁透過検査装置への応用が期待されていました。
潜水艦のソナーで「ピコーン」という音を出し、その反射音を拾って周囲を調べる様子は映画などでお馴染みでしょう。インパルスレーダーも原理は同じです。ただし「ピコーン」のかわりに著しく幅が狭く、かつピーク出力の高いパルス状の電波として発振されることになります(※註)。これは「ピーク出力が高い」ために貫通力に優れ、しかも「幅が狭い」ため精度に優れることが特徴となります。ただし時間あたりのパルス密度は低く、せいぜい数千パルス毎秒程度です。

(※註)イルカが獲物を察知する時に発するエコロケーション音は「カッ、カッ、カッ、カリカリカリッ」という鋭いパルスの集合で、まさにインパルス UWB ソナーというべき原理を応用しています。闇夜を自在に飛ぶコウモリも超音波帯で同様の信号処理を行っていることが知られています。自然とは恐ろしいものです。

いっぽう超高速通信のほうは「広い周波数帯域が占有できるのならば、情報伝送帯域を飛躍的に向上させることができるはずだ」というシャノン公式にもとづく期待に端を発しています。ここで注意しなければならないのは、情報量を増やすためには F-Domain だけでなく T-Domain も見なければならないということです。すなわち伝達される情報量は

伝達情報量 = 周波数あたりの情報量 × 時間あたりの情報量×伝達時間

となりますが、純粋なインパルスラジオの場合、周波数あたりの情報量は 1bit です。すなわちパルスが有るか・無いかの情報しかありません(※註)。なので伝達情報量を増やすためにはパルスの幅を可能な限り短くし、時間当たりのパルス密度を詰め込まなければなりません。例えば 1Gbps の情報を転送しようと思えば 10 億パルス毎秒の密度が必要ですが、それを壁超えレーダーみたいな大出力でやれば物凄い密度のエネルギーを時間軸・周波数軸に対してぶち撒けることになります。前述したようにインパルスは「雑音みたいな」信号ですから、それを大パワー・高密度で発信するということは大出力の雑音発生器を作るようなもので、そんな装置を稼動させれば周囲の無線装置...TVも携帯電話も無線LANも、ノイズの影響を受けまくって全滅するでしょう。

(註:)この方式は Pulse On-Off Keying と呼ばれる変調方式ですが、これ以外にも Pulse Position Modulation (PPM), Bi-phase Pulse Modulation (BPM), Pulse Amplitude Modulation (PAM), Pulse Shape Modulation (PSM), Orthogonal Pulse Modulation (OPM) など、およそ思いつく限りのパルス変調方式が提案されていました。

すなわち、「壁超え」で使う大出力・低密度パルスと、「超高速通信」で使う微弱出力・高密度パルスは原理こそ同じであれ、その用途も特性も全く異なるものだったのです。UWB を高速通信に使うならば高速性の代償としてパワーを抑えて使う必要があり、必然的に「近距離専用」とならざるを得ないわけです。


2002 年のバレンタイン・プレゼント
なぜこんな勘違い記事が出てきたのかというと、アメリカの電波監理局である FCC が 2002 年 2 月 14 日に発表した「Order FCC 02-48, Part15」という法令にその原点がありました。これは、それまで軍用や科学技術研究など特殊な分野でのみ使われていた UWB 技術を民間に普及させるべく制定されたものです。UWB におけるプロメテウスの火というか、この発表をもってにわかに UWB フィーバーが燃え上がることになるのですが、この Order FCC 02-48 のなかでは UWB の応用分野を7つに大別していました。

  • Imaging Systems
  • Wall Imaging Systems
  • Through-wall Imaging Systems
  • Medical Systems
  • Surveillance Systems
  • Vehicular Radar Systems
  • Communications and Measurement Systems

「壁を透過する画像センサー(Through-wall Imaging Systems)」と「通信システム(Communications and Measurement Systems)」が併記されており、おそらくこれが巡り巡って「壁を通して 1Gbps で通信」という誤解につながったのではないかと思います。

さて、この FCC Part 15 では民間用 UWB に対して、2つの重要な仕様を規定していました。

  • 周波数帯域 3.1GHz ~ 10.6GHz
  • 発振出力 -41.3dBm/MHz

この仕様はのちに数々の騒動を生む種となりますが、ここで重要なのは「-41.3dBm/MHz」という発振出力の規定です。じつはこの値、FCC が一般の電子機器に対して規定している「不要輻射雑音」と同じレベルなのです。「UWB は雑音を使って通信する」と言われた話の元がここにありました。正確には「雑音を使って通信する」のではなく、「雑音のような波形の信号を雑音のような低出力で使用することで、近距離に限って高速な無線通信を実現する技術」と書くべきだったのでしょう。

宴は始まり、そして...
ともかく、大きな期待と様々な誤解を抱きながら「UWB」という言葉は華々しいデビューを飾りました。これに対して産業界はどのような目論見をもってどのように反応したのか、次回は業界紙を賑わせた「IEEE802.15.3a」というキーワードを中心に語ってみたいと思います。



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