Wireless・のおと

サイレックスの無線LAN 開発者が語る、無線技術についてや製品開発の秘話、技術者向け情報、新しく興味深い話題、サイレックスが提供するサービスや現状などの話題などを配信していきます。

前の記事:「無線 LAN と通信距離について(1)」へ

無線 LAN と通信距離について(2)

2011年12月26日 10:00
YS
前回はフリスの伝達公式から空間・周波数・パワーと通信距離の相関について解説し、通信距離を延ばすには周波数が低いほど有利であること、無闇にパワーを上げても距離は大して伸びないこと、アンテナを工夫すればパワーを上げたのと同じ効果があることを示しました。今回はそのアンテナのお話です。主に指向性という観点から、各種アンテナの特性とその用途について解説します。

アンテナの性能とは?
アンテナの指向性能は「利得(ゲイン)」と呼ばれ、一般的に「dBi」という単位で表現されます。i はアイソトロピック(Isotropic)の頭文字で、全方位に均等な感度を持つ理想的な無指向性アンテナの感度を基準としたとき、対象となるアンテナの最大感度方位における倍数を常用対数(10 * log10(n))で表したものです。稀に「dBd」という単位が使われることもありますが、これは理想ダイポールアンテナ(利得 2.15dBi)を基準とした表記で、dBi = dBd + 2.15 で換算できます。

アンテナの指向性が高ければ高いほど、その性能を最大限に発揮できる方向は狭くなって文字通りピーキーになります。もし信号源方向とアンテナのピーク指向性方向がズレた場合、その信号を受信できる能力は無指向性より逆に下がることになります(利得が 0 未満になります)。つまり指向性アンテナの性能表記には「利得」以外にも「その利得が発揮できる角度範囲」という数値が併記されなければなりません。この角度は利得がピーク値から -3dB になる範囲を指し、「半値角(Half-Power Angle)」と呼びます。例えば最大利得 3dBi のアンテナであれば 0dB までの角度が半値角ですし、最大利得が 0dBi ならば -3dBi までの角度が半値角となります。どの角度でも変動幅が -3dB 未満に収まるならば、全周 360 度にほぼ均等な性能を持つ無指向性アンテナということになります。

アンテナの指向特性は対称であるとは限らず、水平面(上から見た場合)と垂直面(横から見た場合)で異なります。慣例的に垂直面を E-Plane、水平面を H-Plane と呼びますが必ずしも「縦/横」を意味している訳ではなく、本来は電磁波伝達における電気面(E)/磁気面(H)の記号を表わしています。
アンテナの基本形であるダイポールアンテナを地面に対し垂直に立てた場合、電気面の振動が垂直・磁気面の振動が水平に現れるので「慣例的に」 E/H を垂直・水平と見做しても構わないのですが、アンテナの形式や設置形態によっては必ずしも E/H と天地の方向は一致しないので注意してください。

一口に「高性能アンテナ」と言っても、半値角は何度なのか、E-Plane・H-Plane に対しどのように広がっているのかによってその特性は違ってきます。そして我々人類は地表面付近を主な生活活動の場としているため、垂直面に狭く、水平面に広い指向性のアンテナがよく利用されます。以下、代表的なアンテナの名称と特性、そしてその主な用途について説明してゆきます。


オムニアンテナ
omni.jpg「垂直面に対して狭く、水平面に対して広い」アンテナの代表格がオムニアンテナ(Omnidirectional Antenna)です。これは水平面に対して 360 度ほぼ無指向性、垂直面には 10 度程度の鋭い指向性を持ち、その電波放出面は円盤状となります。外見的には棒を立てたように見えますが、内部的には小型のアンテナを縦に幾つも重ねた「トーテムポール」のような構造を持っており、「コ・リニア・アンテナ」とも呼ばれます。オムニアンテナの利得は一般的に 5~10dBi 程度です。
オムニアンテナの欠点は「電波が円盤状に出る」ことにあります。これは送受信機がほぼ同じ高さにある時は便利なのですが、携帯電話のように送信機側だけ高所に設置すると、アンテナ直下に大きな死角ができてしまいます。また、水平面から上に出る電波は宇宙空間に飛んで行って消えてしまいますので、実質的な性能が半分になってしまいます。



セクターアンテナ
patch.jpgこの欠点をカバーできるのがセクターアンテナ(Sector Antenna)で、これは水平面に対し 90~180 度、垂直面に 30~60 度という非対称な特性を持ちます。これをぐるりと輪状に束ねて高所に設置すると、「円盤状」かつ「下向き」に特化した特性のアンテナを作ることができます。これを「セクターアンテナ・アレイ」と呼びます。セクターアンテナ1器あたりの利得は 5~12dBi 程度です。
高所に設置されたセクターアンテナ・アレイは近傍から遠方まで広い範囲をカバーすることができ、しかも地上の受信機に対して有効にエネルギーを放出することができます。このため携帯電話の基地局などに利用されていますが、複数のアンテナ素子を使うため高価なうえ、複数のアンテナを束ねるための高周波分配器が必要になるなどの欠点も持っています。


セクターアンテナの一種で、水平・垂直面に対称な 60~90 度程度の指向性を持つものをパッチアンテナ(Patch Antenna)と呼びます。携帯電話の世界では文字通り、ビル影などによって生じた不感度地帯を埋める(パッチ当て)するために用いられています。無線 LAN の世界では簡易な指向性アンテナとして、通信距離の延伸に用いられることが多いです。パッチアンテナの利得も 5~12dBi 程度です。



高指向性アンテナ

yagi.jpg





parabola.jpg八木アンテナ(正確には八木・宇田アンテナ)とパラボラアンテナは、いずれも鋭い指向特性を持ち、いわゆる「指向性アンテナ」の代表格です。利得は 10dBi 以上が普通で、パラボラアンテナのなかには 30dBi に達するものもあります。この位のアンテナになると半値角は 5 度程度しかないため、それに応じた高精度で設置する必要があります。

八木とパラボラの使い分けは波長(周波数)によるもので、八木アンテナは 50MHz~5GHz 程度、パラボラは 1GHz~10GHz 程度の領域で使われます(註)。

八木アンテナは枝(素子エレメント)の長さが 1/2 波長に一致するため、50MHz 帯ではアンテナ幅約 3m となり実用上限ちかい大きさになります。逆に 5GHz では約 3cm となり、これ以上高い周波数では小さくなりすぎて実装精度の実現が難しくなるなど実用性が低くなります。

一方、パラボラアンテナの大きさと周波数に直接の相関はありませんが、その利得は面積に比例・波長の二乗に反比例する特性があります。つまり周波数が高くなればなるほど(波長が短くなればなるほど)小直径でも高い利得が得られるわけで、逆に言えば低い周波数域で同じ利得を得ようとするとパラボラは八木アンテナより巨大化してしまいます。両者の拮抗点はおよそ 3GHz 付近にあるため、2.4GHz 用の高指向性アンテナはパラボラより八木が、5GHz 用は八木よりパラボラのほうが品揃えが豊富になっています。

(註)ちなみに TV 放送用としては VHF が 90~222MHz 帯、UHF が 470~770MHz 帯、衛星放送が 12~14GHz 帯を使っています。TV 用のアンテナに「大きな八木(VHF 用)」「小さな八木(UHF 用)」「パラボラ(衛星用)」が分かれているのは、使用周波数と密接な関連があるのです。

八木やパラボラアンテナは指向性が非常に強いため、相手が何処にいるか判らない移動局の通信には向きません。固定局に使う場合であっても、原則として 1:1 の通信に向いています。この特性のため、固定局同士のリンクを無線で行うバックホール(Backhaul)という用途によく使われています。


無指向性アンテナ
rubber_duck.jpgノートパソコンや携帯電話の子機のように動き回る移動局の場合、受信機と送信局の位置関係は刻々と変わってゆきますので、むしろ指向性が無い=全方位から均等に電波を受信する性能が求められます。つまり、利得が 0dBi に近いほど欠点のない優秀なアンテナという事になります。
無指向性アンテナの代表選手がモノポールアンテナで、基本原理は 1/4 波長の導線を垂直に立てたものです。「ホイップアンテナ」と呼ばれることも多く、また無線 LAN 用のプラスチック製アンテナ(弾力性プラスチックの鞘内にアンテナ素子が埋め込まれている)は「ラバーダック(Rubber Duck)」と呼ばれることもあります。市販の無線 LAN 機器ではもっともよく目にするタイプのアンテナと言えるでしょう。
モノポールアンテナの放射パターンは「水平八の字」で、真上・真下方向には感度を持ちません。各メーカー毎にいろいろ工夫されていますが、完全無欠の全指向性特性を得ることは難しく、2~3dBi 程度の利得(すなわち方向による感度のバラツキ)を持つものが多いです。




chip.jpg携帯機器ではアンテナが突出することを嫌い、筺体内に埋め込むことが求められることもあります。このような場合には基盤上にパターンを刻印したパターンアンテナ、その薄膜版であるフィルムアンテナ、あるいは部品状のチップアンテナが用いられます。チップアンテナは直接基盤上に実装できる数ミリ角の部品でアンテナの役割を果たすので、超小型の携帯機器に重宝されています。チップアンテナはその内部に複雑な線路が畳み込まれており、動作原理は螺旋アンテナ(ヘリカルアンテナ)に近いものです。

パターンアンテナやチップアンテナは一般的にモノポールアンテナより内部損失が大きくて効率が悪く、指向特性も凸凹していて必ずしも優等生ではありません。また小型ゆえに他の電子部品や筺体と隣接した位置に置かれることが多く、干渉による特性変化を受けやすいのも悩みです。携帯機器では利用者が手で握った時に特性がどう変わるかを考慮して設計しないと、実験室では優秀でも実製品使用環境では本来の性能を引き出せなくなる恐れもあります(※註)。

(※註)Apple 社の iPhone4 が発売されたとき「右手から左手に持ち替えた途端に通話が切れる」と大騒ぎになりましたが、これは本体周囲の金属バンドをアンテナに利用する設計の弊害でした。


アダプティブ・アレイ・アンテナ
都会のビルやマンションの屋上に、四ツ叉や八ツ叉になったアンテナを見かけた記憶をお持ちの方もおられるかもしれません。これは携帯電話のセル局に使われているアダプティブ・アレイ・アンテナです。
アダプティブ・アレイ・アンテナとは複数のアンテナ素子を結合し、各素子の ON/OFF や素子間の遅延(位相)を電気的に操作することで指向特性を操作できるアンテナを指します。その大がかりなものは軍事用のフェイズド・アレイ・レーダーですが、もっと小規模なものは民間にも広く使われており、その代表例が携帯電話のセル局です。
家電製品の世界では、60GHz 帯を使う WiHD 規格がアダプティブ・アレイ・アンテナを採用したことは以前にも紹介しました。これ以外に、3x3 ストリームの 802.11n 無線 LAN(「公称 450Mbps 対応」として売られているもの)では、3ないし4本のアンテナをあえて2ストリームで使い、使用するアンテナ組み合わせを切り替えることで指向性を操作するビーム・フォーミング(Beam Forming)機能を持っているものもあります。これも一種のアダプティブ・アレイ・アンテナです。

この連載では何度か「高指向性アンテナは設置が難しい」「高指向性アンテナは移動局には向かない」と繰り返してきましたが、それはアンテナに指向性が一方向に鋭く突出しており、送受信機がその範囲に収まるように設置しないと性能がガタオチになるからです。しかしアダプティブ・アレイ・アンテナの場合、状況に応じて適応的(アダプティブ)にアンテナ指向性が調整されるので心配ありません。つまり、指向性アンテナの高性能と無指向性アンテナの使い勝手を兼ね備えたアンテナといえます。その半面、アダプティブ・アレイ・アンテナはサイズが大きくてコストが高く消費電力も大きい欠点も持っており、例えば携帯電話ならば基地局にアダプティブ・アンテナを導入するのは容易でも、子機まで全部アダプティブにするという訳にはなかなかゆきません。
また、「状況に応じて」「適応的に」と言っても、何をどういう基準で状況判断し、どのようなアルゴリズムで適応するのかというアルゴリズムもアダプティブ・アンテナの性能を左右します。802.11n 無線 LAN では「アクティブ方式」と「パッシブ方式」の2種類のアルゴリズムが使われています。その詳細と利害得失については、いずれまた別の機会に御紹介しましょう。


まとめ
「高性能アンテナ」と一口に言っても、使用状況によって必要とされる「性能」そのものが変化することを理解して頂けたかと思います。携帯機器ではむしろ無指向性に近いほうが「高性能」であるという話など、技術者にとっては常識であっても世間一般的にはあまり知られていないかもしれません。そういえば、一昔前には携帯電話の裏にシールを張るとか、アンテナの先端にネジ込むだけで「感度アップ!」をうたった胡散臭い製品が漫画雑誌の広告などに沢山出ていましたが、今では見なくなりましたね。アンテナの「感度(利得)」がどういう性質のものかを理解していれば、ああいった製品がいかに怪しいかもすぐにわかると思うのですが。
さて次回は更にアンテナについて、「カタログの読み方」を解説しようと思います。



次の記事:「無線 LAN と通信距離について(3)」へ

最新の記事

カテゴリ

バックナンバー